尾崎裕哉さん「始まりの街」歌詞 似ているのは声だけではない

hiroya

尾崎裕哉さんが歌番組で「I LOVE YOU」を披露

1992年に26歳の若され急逝した尾崎豊さんの息子である尾崎裕哉さん(26歳)が
7/16のテレビ音楽番組『音楽の日』に生出演し、テレビ番組で初めて歌を披露されました。

大反響で、ヤフーニュースでも一気に話題入りです(^-^)

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声がそっくりだけではない。聞く人の心を震わす受け継がれたDNA。

『I LOVE YOU』 声がそっくり!!の映像です。

声だけではなく世界観が尾崎豊に似ていると思いませんか?

そして何より、聞いて心が震えました。これは間違いなくDNAです。

そして、世界観に関して、尾崎裕哉さん自身が作詞作曲した歌からもしっかりと尾崎豊を感じ取ることができます。

尾崎裕哉さん作詞作曲「始まりの街」

この曲は20歳のときに母親から
「お父さんがいなくて寂しい思いをさせてごめんね」と声をかけられた時に作った曲とのことです。

その時の思いがこの曲に込められているそうです。

3:15に『始まりの街』が始まります。

始まりの街 歌詞

『始まりの街』

この街に住み始めた頃 きっと
どこかで泣いていたんだ
僕にはみせなかった

別れはいつも突然だから ずっと
心の扉の鍵は 預かったまま
 

でも季節が過ぎていくほど
忘れてしまうものさ

どこか寂しくて
遠い面影を 抱きしめたくなるけど

僕は幸せさ これまでも これからも
あなたの笑顔を照らしてよ
導かれるまま二人は生きてる

あなたは幸せを求めてよ
これからも信じるものを
愛することをあなたは知っているから

いつでも幸せさ あなたがいるから

遠い空から見守っている きっと

上手く説明出来ませんが、
聞いた時に心に響き渡る感覚を覚えました。

書き込みでも多くの人が『尾崎裕哉』に共感したことが伺えます。

親父がどうのこうの、音程がどうのこうの 似ているどうのこうの 七光りどうのこうの どうでもいい。そんなの本当にどうでもいい。素晴らしい歌声と曲だった。人がどう感じようと、おいらの胸にグサリと突き刺さった。いい歌だった。それだけ!

父親が訴え続けた焼きつくすような怒りや暑苦しくすらある熱情は感じられなかった。
嗄れたシャウトや立ち姿から溢れるカリスマティックな何かも。
だからこそ美しくしなやかで神々しくすら感じる。良い遺伝子を託されたんだね。
僕らが追いかけた人間尾崎は、20年以上の月日を経て美しさとして再臨したと感じた

尾崎にそっくり…あの時生まれていた、お子さんなんですね…尾崎がいるみたい。私の青春。

父親の尾崎豊を知っている人も、知らない人も、尾崎裕哉さんの歌声をきいて素直に感動できた様子が伺えました。

尾崎裕哉さん略歴

裕哉さんの簡単な経歴です。(ウィキペディア参照)

 2歳の時に父親を亡くす。

 5歳で母親とアメリカ・ニューヨークに渡る。

 2006年 アメリカンスクール卒業、慶應義塾大学入学
 
 2010年 エフエムインターウェーブで自身初のラジオ番組『『CONCERNED GENERATION』のディスクジョッキーを務める

 2015年 大阪・ミナミのライブハウス「DROP」で、尾崎裕哉としての初ライブを行う。

父親について

有名な尾崎豊さんを父親に持ち、
これまでどのように父親の面影と付き合って来たのか気になりますね。

以前出演されたラジオ番組で父親について語られています。

父親は最初っからいない前提だった。

亡くなった当時
「パパいなくなっちゃったの?」と言った。

そこで子供なりに受け入れたのではないか。
だから喪失感など無かった。

いつも尾崎豊を感じていた

父親に対して思うこと

そして、ミュージシャンとして尾崎豊さんをどのように思っているか。

「悔しい。天才だと思う」
「ミュージシャンになり切れていない自分がいて、同時にやばい一生懸命やらなきゃって思う。
父親にはそんな感覚は無かったと思う。」

「彼が一生けんめい表現しようとしていたことを自分は真似できない。」

「恐らく、本人は意識せずともやっている。選ばれちゃった人。天才。」

声が似ている理由

「声帯を受け継いだ。声はプレゼントされたものと思っている。」

「似ていると言われるのは嬉しい」

「5歳に初めてCDを聞いて、15歳まで父親の声真似ばかりをしていた。

 ピッチ1ヘルツ単位で合わせられた。

 全部の曲の息継ぎもそうだし、ビブラートも。

 71曲やったら次が無かった。

 そこで追求して満足して父親探しのパートワンが終わった。

 それ以降真似る物がなくなったので洋楽にいった。」

子供の頃にすでに尾崎豊の物まねは完璧だったと言います。

声が似ているのは、DNAによるものと、子供の頃に身についた物まねのせいでしょうね。

大きな影響を受けた洋楽

さて、裕哉さんは小さいころから尾崎豊の影響を否応なし受けて育ってこられたわけですが、

本当に自らで音楽をやろうと思ったきかっけは別のところにあったとのことです。

アメリカで寮生活をしていた時、隣の部屋に台湾系アメリカ人の友人から教えてもらったのが、

AC/DC『Back In Black』

短パンのギターの人に注目です。

裕哉さんは物心ついたときからミュージシャンになろうと思っていたそうです。
しかし、漠然とした思いだけで、努力はしていなかったと言います。

そんな時に『Back In Black』が音楽への決意を固めてくれたということですね。

声が似ているということに対して思うこと

裕哉さんは前述したように子供のころに尾崎豊の物まねを完成されています。

似ているのは真似ているからという見方もできます。

しかし、それを否定的に捉えてはいません。

自分の声に感動してもらえたら、それは自分にしかできないこと

本物は尾崎豊しかない。

歌い継いでいるもの。

尾崎裕哉として尾崎裕哉の曲を

自分として、自分をうたう。
自分として、父親のことをうたう。

当面はそうしてやっていきたい。

真似することって悪くないかな。
一つの生き方にすると限界が見えてしまう。

ありたい姿をいっぱい持っていたい。

自分ができることを全部やっていきたい。

恐らく二世として、いろいろと雑音も耳にするはずです。

このコメントは、裕哉さんなりに考え、行きついた答えなのだと感じました。

裕哉さんの目指すところ

裕哉さんは『Jay Z』になりたいと語っておられます。

Jay Zはビヨンセの夫で、麻薬の売人から音楽家として成功し、その後実業家としても大成さてれいる方です。

裕哉さんはJay Zを、
「その場その場で自分のできることを考えている」と語られています。

また、ラジオ番組では、今後の決意として、

「一生懸命考えて一生懸命戦略を一つ一つ紡いでいってやればできない事は無い。
 楽しみにしていてください」

と語っておられます。

裕哉さんの話を聞いて、曲を聞いたときに心に響いたのは、単に声が似ているだけではなく、

裕哉さんがこれまでに今は亡き偉大な父親と真剣に向き合い、自分の道を模索しつづけてきたからなのかなと思いました。

ラジオ番組を聞いて、ソフトで落ち着いた口調で話されていましたが、2世としての苦悩を垣間見たような気がします。

今後、大変注目されるの歌手のおひとりですね。

新曲を聞いてみたい!素直にそう思いました(^-^)

 
 
コチラも是非
尾崎裕哉さんブレイクした理由 時代背景から考える
若旦那さんのソロライブに出演された時の歌声を聴いて下さい!

 
では、ここまでお読みいただきありがとうございました。

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