尾崎裕哉さんの魅力 ブレイクした理由について時代背景から考える

hiroya

先日「音楽の日」に出演され、話題騒然となった尾崎裕哉さんですが、

尾崎豊さんの息子としての話題だけではなく、
一人のアーティスト『尾崎裕哉』として評価が高まっています。

現在26歳。ブレイクまでの道のりと、ブレイクした理由について私なりにまとめてみました。

尾崎裕哉さんブレイクした理由

いくら二世といっても、そもそも歌が下手ならここまで話題になることは無いです。

また、歌声の魅力は上手とはまた違うところにもあるように思います。

単に歌が上手いだけではなく、人の心に訴えかけることができる歌声が多くの人を感動を誘うのだと思います。

まずは感動を誘う歌声をお聞きいただきたいと思います。

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若旦那ソロライブにゲスト出演

2016年2月20日に下北沢で行われた若旦那ソロライブの千秋楽に尾崎裕哉がサプライズゲストとして登場され、大きな話題となりました。

その時の映像です。再生すると尾崎裕哉さんが歌うところからスタートします(^_-)-☆

寄せられた感想

父親に対する色んな葛藤はあったかも知れないけど、シャウトの仕方まで彷彿とさせるなんて、相当LIVE映像とか観て影響を受けてきたに違いない。しかも『父への憧れ』というよりは、単純に『尾崎豊のファン』であることを感じさせ、図らずもやっぱり永遠に偉大なアーティストであったことも改めて証明していると思う。そのことが凄い。

裕哉くんのこの歌声は天性のもの。「DNA」とか「そっくり」とか、大きなプレッシャーにはなるだろうけど、でも考えてみればこんなストレートな歌声を聴いたのはいつぶりだろう。今の時代にはストリートで埋もれやすい歌唱法かも知れないけど、その歌声を欲している人は大勢いるということを信じて頑張って欲しい。若旦那共々、素晴らしい楽曲です。

なんか泣けてくる・・・ 尾崎の息子 尾崎に負けないように自分の道で頑張って欲しい

最初に聞いたときは、尾崎豊が蘇った!と思ったけれど、久しぶりにこの曲を聴いてみたら、”裕哉さん”の表現力の素晴らしさと美しさに感動しました。ライブ行ってみたい!

尾崎さんの声に似てる…。やっぱりすごいな。泣けてくる…。

DNAは受け継がれている

DNA万歳!

もちろん尾崎豊さんに似ていることもそうですが、それを超えてに心に響く歌声に感動します。素晴らしいです。

口コミでも、多くの人が尾崎裕哉さんの歌声に感動された事が伺えます。

私も例外なく感動しました。
切なくなるほど甘く優しい声で、ずっと聴いていたくなるほどです。

若旦那さんの曲そのものも素晴らしいのですが、メロディに乗せた裕哉さんの世界観に惹き込まれてしまいました^ ^

2014年朝日新聞に『母に聴かせた「15の夜」』掲載



こちらは2014年5月29日、朝日新聞で『おやじのせなか』コーナーに掲載されたものです。

父であるロック歌手、尾崎豊が26歳で亡くなった時、まだ2歳9カ月でした。自宅の寝室に入ると父がベッドの上で眠っている。父の記憶といえばこの光景がうっすら浮かぶだけです。

 5歳で母と米国へ移住しました。母からは父の歌を聞けと言われたことはありません。僕自身、友達と遊ぶのに夢中で、父のDVDを見るのも年に数回程度。それでも、画面の向こうの父は憧れの存在でした。幼少期はステージに登場したつもりでカーテンから飛び出したり、「ワン、ツー、スリー」と口まねをしたりしていたそうです。

 夏と冬の休暇には帰国して、祖父母といっしょに父の墓参りをしました。行き帰りの車中で祖母がかけるのは、決まって父の歌でした。

 12歳になった時、父の歌が無性に聞きたくなりました。CDアルバムを携帯音楽プレーヤーに録音して、息継ぎの場所やビブラートの回数を覚えるほど繰り返し聞きました。父が残した71曲は、僕にとっては父からのメッセージそのものでした。

 14歳で初めて母とカラオケに行き「15の夜」を歌いました。母は「何で歌えるの?」「しかも似ている」と驚嘆していました。父の写真集を見るのも好きでした。影響を受けて、灰色のスエットの首もとをはさみで切ってみたり、ボロボロのジーンズをはいてみたりしました。

 尾崎豊を父に持ったことのプレッシャーはありました。同じ道を歩めば、なかなか前へは行けない。別の道を探ることで肩を並べられると感じています。

 あと2年で父が亡くなった年齢になります。母からは、そそっかしいところや「なるほど」という口癖がそっくりと言われます。父のお陰で、多くの人との出会いがある。僕の人生の70%は父からのプレゼント。残りの30%、その種を育てるのは僕自身の努力にかかっています。

 先月、父の23回忌がありました。墓前では近況を報告したり、進路の相談をしたり。父に話すと気持ちが楽になります。ここぞという場面で身につけるのは形見の金のブレスレットとネックレス。父がいっしょにいる感じがして、安心するんです。

印象的なのはこの時点では、
『別の道を探ることで肩を並べられると感じています』

と語っておられること。

いろいろとお考えの上で、音楽の道に進むことを決断されたということですね。

恐らく尾崎豊を父に持ったことのプレッシャーは相当なものだったのでしょう。
しかし、それはこれからも否応なしについてまわるもの、逃れようの無い事実です。

ソフトで優しい外見からは全く想像できないですが、裕哉さんのこれまでの葛藤を感じます。

普通に考えて、DNAが受け継がれているならば、裕哉さん自身も激しい一面を持っていてもおかしくありません。

性質は遺伝します。
性質を通して、性格が形成されます。

だからきっと裕哉さんも繊細でとても傷つきやすく、そして激しい一面も持っているのではないかなと思いました。

尾崎豊さんの繊細さ

繊細といえば、
父親の尾崎豊さんのエピソードで音楽プロデューサーのコメントが印象的だったので紹介します。

インタビュー内容をそのまま文字起こしています。

音楽プロデューサー 須藤晃氏

ぼくはだからいつもシェリーを聞くと切なかったですよね。

で、なんかこう、俺は、愛すべき者たちをすべてをなんか愛しつづけていくって、

ものすごいどんと来いと言っているわりに、言っているようで「おれちゃんと大丈夫かな?」
みたいなことを言い続けていたんですよね。

そこのなんか、作品の矛盾点みたいなものが尾崎豊なんですけど、それはすごく僕も納得できるんだけど、

彼のえっとこうなんていうんでしょうね、作品の深みっていうか。

この事からも尾崎豊さんの繊細さ、感受性の高さが感じられます。
意外だったのは、自信満々だったわけでは無いと言うこと。

確かに『シェリー』を聞くと、確固たる自分が確立出来ず、不安に苛まれる様子、苦しみもがく様子が見えてくるようです。

シェリー歌詞


シェリー 歌詞

シェリー俺は転がり続けて
こんなとこにたどりついた

シェリー俺はあせりすぎたのか
むやみに何もかも
捨てちまったけれど
シェリーあの頃は夢だった
夢のために生きてきた 俺だけど
シェリー お前の言うとおり
金か夢かわからない暮らしさ

転がり続ける俺の生きざまを
時には無様な格好でささえてる

シェリー優しく俺をしかってくれ
そして強く抱きしめておくれ
おまえの愛が すべてを包むから

シェリーいつになれば
俺は這い上がれるだろう
シェリーどこに行けば
俺はたどりつけるだろう
シェリー俺は歌う
愛すべきものすべてに

シェリー見知らぬところで
人に出会ったら
どうすりゃいいかい
シェリー俺ははぐれ者だから
おまえみたいに
上手く笑えやしない

シェリー夢を求めるならば
孤独すら恐れはしないよね
シェリーひとりで生きるなら
涙なんか見せちゃいけないよね

転がり続ける 俺の生きざまを
時には涙をこらえささえてる

シェリーあわれみなど受けたくはない
俺は負け犬なんかじゃないから
俺は真実へと歩いて行く

シェリー俺はうまく歌えているか
俺はうまく笑えているか
俺の笑顔は卑屈じゃないかい
俺は誤解されてはいないかい
俺はまだ馬鹿と呼ばれているか
俺はまだまだ恨まれているか
俺に愛される資格はあるか
俺は決してまちがっていないか
俺は真実へと歩いているかい

シェリーいつになれば
俺は這い上がれるだろう
シェリーどこに行けば
俺はたどりつけるだろう
シェリー俺は歌う
愛すべきもの すべてに

シェリーいつになれば
俺は這い上がれるだろう
シェリーどこに行けば
俺はたどりつけるだろう
シェリー俺は歌う
愛すべきもの すべてに

繊細過ぎて、そのうち壊れてしまうのではないか、と言う危うさを感じますね。

だから目が離せない。
尾崎豊さんの周りにいた人も恐らく同じ気持ちで彼のことを見ていたのでは無いかと思いました。

尾崎豊さんの時代背景

では、時代背景を見てみます。

尾崎豊さんは、校内暴力の時代の「反抗カルチャー」の象徴と言われています。
尾崎豊さんの多くの歌詞が80年代後半から90年代にかけての「若者の反抗」というカルチャーを代表していました。

 日本が最も豊かであったあの時代に、どうして校内暴力の反抗が起きたのでしょうか? そこには2つの理由があると思います。1つは、日本が高度成長から二度の石油ショックを乗り越え、自動車と電気製品を中心に輸出型ビジネスを大成功させる中、ようやく「豊かな社会」を実現したという時代背景です。物質の豊かさは精神の豊かさ、つまりより高度な抽象概念への関心や、より高度な付加価値創造への欲求へと若者を駆り立てたのです。

 ところがそこに、教育カリキュラムとのミスマッチが起こりました。教育カリキュラムはせいぜいが「前例を疑わない官僚」や「主任教授の忠実な弟子である研究者」「代々受け継がれてきた職人的な創造者」などをエリートとして養成しつつ、多くの中間層に関しては定型的な労働における効率を追求する人材育成のプログラムしかなかったのです。

 つまり、若者の中には無自覚ではあっても「その先の社会へ」と進むモチベーションが高まっていたのに、教育がそれに応えなかったのです。【http://goo.gl/F1JQ8】より引用

尾崎豊さんの中にも矛盾があったと音楽プロデューサーの須藤晃さんは語っておられますが、

当時の世の中も矛盾が満ち溢れていた。

そんな時代に感受性の豊かな多くの若者がその矛盾を受け入れることができずに、大人たちにむけて火を噴いたということです。

『校内暴力』の時代背景に「世の中の矛盾」があったんですね。

では、現在は?というと、情報開示、明朗会計、バリアフリー、透明化、コンプライアンス、
などなど矛盾とは逆を目指した結果、このようなキーワードが多く見られる世の中となりました。

また、日本の経済情勢も変わりました。
長い低迷期、失われた10年、空白の20年と言われる苦しい時代を迎えます。

そんな中で成長した若者たちは、否応なしに大人の必死で生きる姿を目の当たりにします。

若者は若者で、困難に満たされた社会、危険と隣り合わせの現実社会の中で、自分なりの生きていく感覚を身に着けて行ったと考えられます。

攻撃ではなく防御。

そこに「壊滅的な反抗」は存在していませんでした。

尾崎裕哉さんは尾崎豊さんに大変似ています。

しかし、尾崎豊さんのような壊滅的思考を備えているようには思えません。

一部で「尾崎豊にはなれない」「尾崎豊の真似しただけで本質がちがう」とネガティブな意見もきかれますが、

当然です。

違うのですから。
時代が違うのですから。

多くの人は、尾崎豊になってほしいなんて思ってないとおもいます。

尾崎裕哉として活躍してほしいとこころから思っています。

もし、尾崎豊さんのように「壊滅的な反抗」をうたっても今の世の中には受け入れられないでしょう。

裕哉さんは自分を尾崎豊にはなれないとして、以下のようにコメントしています。

盗むバイクも無かったです(笑)。
そんな平凡な人間が何を歌えば良いんだろうって考えた時、そういう普通で平凡な自分とか、逆に普通じゃないと世間から思われていることとか、そういうのを含めて自分が感じたことを曲にしちゃえ! って。
だから、なるべくすごく小さなこと…例えば友達と飲みに行ったとか、そういうことを題材にしています。
もちろんそのまま書くのではなくて、作品として物語性を強くするために多少言葉を変えて。
そもそもシンガーソングライターって、そういう日常を歌うものだと思うんですよ。
その時代や人によってそれぞれ言いたいことは違ってくるけど。

尾崎豊さんになる必要はどこにもありません。

今求められているのは、裕哉さんのもつ日常を大事にした世界観の方ではないでしょうか。

さて、続いて2009年にさかのぼります。

2009年高嶋ちさ子さんのコンサートにゲスト出演

2009年に行われたコンサートにおいて、尾崎裕哉さんにゲスト出演を依頼したそうです。
その時の印象について高嶋さんがブログで明かされています。

やたら感じのいい好青年で、「僕まだプロじゃないから…緊張するな~」
といいつつも顔は超爽やかイケメン。

確かに本番は、それまでのリハーサルよりずっと心のこもった
熱のある歌声で、鳥肌もんでした。
途中で歌詞がでてこなくて後ろで弾いてる私が
代わりに歌おうかと思ったけど、
本人は「ゲップが出そうになったら、歌詞がとんじゃいました~」
とかなり明るい性格。

全然がつがつしてなくて、本当に好青年だったな~。
うちの子もあんな風に育ってくれるといいのに、
と母親なら誰でも思うような優しい母親思いの青年でした。

ozakihiroya
【http://goo.gl/ESbPMFより引用】

肩に力が入っていない感じがいいですね。

周りを和ませる雰囲気も持っている様子が伺えます。

まとめ

ここまでをまとめると、

まず歌が上手いこと。
高嶋ちさ子さんがおっしゃるように、鳥肌が立つほどの熱のある歌声。
この歌声に多くの人が感動されています。

そして時代背景、
時代は変って、若者達は「壊滅的な反抗」ではなく、日々の幸せを求めるようになりました。

社会情勢はまだまだ不安定で、だからこそ、安定を求める人が多くなりました。

安定とは真逆の尾崎豊さんと違って、尾崎裕哉さんには緩さ、安心感、安定感が感じられます。

時代がマッチした。
日常を歌う尾崎裕哉さんが受け入れられるのは必然的と言えるように思います。

キッカケは尾崎豊の息子、声が似ている、だったかもしれませんが、

それはキッカケにすぎません。

ここまで評価されているのは、間違いなく、

尾崎豊さんの息子だからではなく、

尾崎裕哉さんとして共感されたということだと思います。

これからますます露出が増えていくことが予想されますね。

おまけです。↓

おまけ動画 15の夜をうたう映像

当時19歳です。


2008年にアムウェイの中島かおるさんのクリスマスパーティで歌われたことがわかります。
ネットには、母親がアムウェイ会員なのでは?という噂がありますが、定かではありません。

『15の夜』を好きなファンは多いです。
画像も音の質も良くないのですが、再生回数は現時点で52万を超えています。
皆さんの興味が集まっていることが伺えますね。

コチラは尾崎豊さんの『15の夜』です。

この尾崎豊さんはとても大人に見えました。

だけど、裕哉さんとは全く雰囲気が違いますね。

どこか『自身の無さ』『怯え』『不安』『悲しさ』
を感じます。

一方、裕哉さんは真逆の
『緩さ』『優しい』『安定感』
を感じます。

人の魅力は、その要素だけではなく、人と組み合わさって生み出されるものなのかもしれませんね。

ここまでお読みいただきありがとうございます。

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