没後6年、コービー・ブライアントの遺産——マンバ・メンタリティとベートーヴェンの第五番
2020年1月26日。あの日のことは、覚えている。
日曜日の朝だった。スマートフォンの通知で目が覚めた。コービー・ブライアント、ヘリコプター事故で死去。41歳。娘のジアナも同乗していた。13歳だった。
私はバスケットボールのファンではない。NBAの試合を通して観たことは数えるほどしかない。でも、コービー・ブライアントという名前は知っていた。マイケル・ジョーダンの後継者と言われた男。20年間ロサンゼルス・レイカーズ一筋でプレーし、五度の優勝を果たした選手。そして何より、「マンバ・メンタリティ」という言葉を生み出した人間として。
あれから6年が経った。没後6年。彼の遺産は、バスケットボールの枠を超えて、今も広がり続けている……らしい。
Black Mambaの誕生——暗闘から生まれた別人格
「マンバ・メンタリティ」という言葉は、今では自己啓発書やビジネス書で頻繁に引用される。究極の自己鍛錬。勝利への飽くなき執念。逆境に立ち向かう不屈の精神。そういった意味で使われることが多い。
でも、その起源を知ったとき、私は少し息を止めた。
2003年、コービーはコロラド州で性的暴行の疑いで起訴された。後に告訴は取り下げられたが、彼のキャリアと人生は最も暗い谷底にあった。かつて彼を称えた観客席からは「Kobe sucks!」というチャントが響いた。避難所だった場所が、攻撃にさらされる場所に変わった。
この時期、コービーはパフォーマンスコーチのトッド・ハーマンに相談した。「自分のエッジを失っている気がする」と。ハーマンの答えはこうだった。
「君はエッジを失っているんじゃない。エゴの死を経験しているんだ」
ハーマンは、感情的なエネルギーを共有しない動物の「別人格(alter ego)」を提案した。コービーが最終的に選んだのは、ブラックマンバという毒蛇だった。
2004年、クエンティン・タランティーノの映画『キル・ビル』を観たことがきっかけだったという。暗殺者がブラックマンバという蛇を使って敵を殺すシーン。コービーはワシントン・ポストにこう語っている。「長さ、蛇、噛みつき、攻撃、気性——『これを調べてみよう』。調べた——ああ、これは俺だ。これは俺だ!」
蛇が皮を脱ぎ捨てること。それもまた、彼にとって重要な意味を持っていた。
興味深いのは、コービーがBlack Mambaに「入る」ための儀式だ。彼はハロウィンのテーマソング——マイケル・マイヤーズ版——を繰り返し聴いた。あのマスクの「無表情」が、感情も圧力もない「石のように冷たい殺し屋」になるための鍵だったという。
……これを読んだとき、背筋がぞわりとした。
音楽を儀式として使う。別人格に入るためのトリガーとして。私は深夜にレコードに針を落とすとき、似たような感覚を経験している。日常の自分から、音楽を聴く自分へと切り替わる瞬間。もちろん、コービーのそれとは次元が違う。でも、どこかで通じるものがあると感じた。
ベートーヴェンを介した友情——アカデミー賞への道
コービーが映画音楽の巨匠ジョン・ウィリアムズに電話をかけた話がある。きっかけは、娘たちが『ハリー・ポッター』の「ヘドウィグのテーマ」を気に入っていたことだった。躊躇なく電話をかけた。「コービー・ブライアントなら、地球上の誰にでも電話できる」と、後にアニメーターのグレン・キーンは振り返っている。
二人を繋いだのはベートーヴェンだった。
キーンによれば、コービーはチャンピオンシップの試合をベートーヴェンの交響曲第五番を頭の中で再生しながらプレーしたという。キーン自身は常にベートーヴェンの第九番を流しながらアニメーションを描いていた。そこに接点が生まれた。
第五番。運命。あの「ジャジャジャジャーン」で始まる曲。ハ短調からハ長調へ。暗闘から勝利へ。コービーがあの曲を選んだ理由は、説明されなくてもわかる気がする。
2018年、コービーが引退時に書いた手紙「Dear Basketball」がアニメーション短編映画になり、アカデミー賞を受賞した。グレン・キーンがアニメーションを担当し、ジョン・ウィリアムズが音楽を作曲した。プロアスリートとして史上初のオスカー受賞者。このカテゴリーでアフリカ系アメリカ人として初の受賞者でもあった。
キーンは汗の表現に新しい技法を使った。iPhoneで撮影し、ネガティブに反転させることで、汗が顔を流れ落ちるように見せたという。細部へのこだわり。それはコービー自身の哲学でもあった。ポストディフェンスの姿勢から、児童書の裏表紙にバーコードをどう配置するかまで、彼は細部に執着した。
……でも、CBS Sportsはこうも指摘している。「コービーに触発されて、誰も見ていないところで努力する成功したアスリートの数だけ、彼の傲慢さと頑固さを模倣して失敗した人間がいる。殿堂入りレベルのスキルと知性なしに」
マンバ・メンタリティには光と影がある。細部への執着と、時に無謀に見える決断。ダブルチームの上から無理なシュートを打ってコーチを困らせた男。その矛盾を、どう受け止めればいいのか。
遺産は続く——Nike、USC、そしてUConn
2025年12月、ロサンゼルスで一つの出来事があった。USCとUConnの女子バスケットボールチームが対戦した試合で、両チームの全選手がコービーのシグネチャーシューズを履いてコートに立った。全員が異なるモデル、異なるカラーウェイ。Kobe 6「Statue of Liberty」、Kobe 5「Year Of The Snake」、Kobe 9 EM「Mambacita」……。
娘のジアナ——ジジと呼ばれていた——は、UConnの熱心なファンだった。コネチカット大学でプレーすることを夢見ていた。あの事故の直後、UConnはベンチに彼女の2番のジャージを掛け、青と白のリボンで包んだ花束を置いた。
6年後、その同じUConnの選手たちが、コービーの靴を履いてプレーしている。ジジの夢が、形を変えて生き続けている。
Nikeは「Mamba League Invitational」という高校生向けのバスケットボールトーナメントも開催している。約70人の選手が全米から選ばれ、コービーの命日の翌月——彼の誕生日である8月23日の翌日、8月24日——に集まる。8/24。彼の二つの背番号。
「遺産」という言葉は、ビジネス書やリーダーシップ論でよく使われる。レガシー。何を残すか。コービーの場合、それはバスケットボールの技術だけではなかった。哲学だった。生き方だった。
NFLの選手たちは、怪我からの復帰においてコービーの存在を「精神的な拠り所」にしているという。ニューヨーク・ジャイアンツのサクワン・バークレーは、毎日ノートの最初のページに「Mamba Mentality」と書いている。The Ringerのインタビューで彼はこう語った。
「正直に言って、コービー・ブライアントがいなければ、今の自分はいなかったと思う。人間としても、ここ数年の怪我との戦いや自分自身を見つめ直す過程で、常に立ち返れる場所があった」
……私はアスリートではない。経理部で25年以上働いている、ただの会社員だ。でも、何かに全身全霊を捧げるという感覚は、わからなくもない。
深夜、家族が寝静まった後、6畳の部屋でレコードに針を落とす。誰に見せるでもなく文章を書く。これは私だけの領域だ。理解されなくていい。ただ、聴いた音楽について何も残さずに死ぬのが怖い。
コービーは、自分が何を残したいかを知っていた人間だった。バスケットボールだけでなく、物語を語ることを選んだ。アニメーションを作り、本を書き、若い世代を育てようとした。そして41歳で、突然いなくなった。
蛇が皮を脱ぎ捨てるように、人は変われる。でも、時間には限りがある。
没後6年。1月26日が来るたびに、私はこの男のことを思い出すのだろう。バスケットボールのことはよくわからない。でも、ベートーヴェンの第五番を頭の中で再生しながら戦った男がいたということは、忘れないと思う。
運命。暗闘から勝利へ。……でも、本当の勝利とは何だったのか。
たぶん、誰にもわからない。