Untitled, 2014――名前のない感情について

ジヨンと水原希子。この二人の名前が並ぶたびに、ネットのどこかがざわつく。復縁したのか、していないのか。今はどういう関係なのか。そういう問いが、もう十年近く繰り返されている。

結論から言えば、2025年現在、二人の関係について公式に確認された事実はない。交際も、復縁も、破局すらも、当人たちの口からはっきり語られたことは一度もない。あるのは断片的な目撃情報と、SNSの「匂わせ」と呼ばれる投稿と、それらを繋ぎ合わせて作られた無数の物語だけだ。

ただ、一曲だけ、確かなものがある。
G-DRAGONが2017年にリリースした「Untitled, 2014」
タイトルに刻まれた年号。無題、という名付けの拒絶。あの曲を聴くと、二人の間に何があったのかは分からないまま、何かがあったことだけは確信できる。そういう種類の音楽だ。

私はK-POPに詳しい人間ではない。BIGBANGのアルバムを通して聴いたこともない。でも、あの曲だけは知っている。深夜にYouTubeのおすすめに流れてきて、再生して、そのまま動けなくなった。理由は後で書く。

「2014」という年号が意味すること

少し整理しておく。ジヨン――クォン・ジヨン、1988年生まれ。BIGBANGのリーダーであり、K-POPという枠を何度も壊してきた人物。水原希子、1990年生まれ。モデル、女優、アーティスト。日本のファッションシーンに留まらない、独自の存在感を持つ人。

二人の関係が最初に報じられたのは2013年頃らしい。その後、途絶え、2019年前後に再び接近が囁かれ、2024年にジヨンが本格復帰してからまた二人の名前が並ぶようになった。復縁説の根拠とされるものはいくつかある。

  • 同じファッション・アート系のコミュニティに属しているという複数の目撃情報
  • SNS上での投稿時期やモチーフの符合
  • 水原希子の「自分にとって大切な人との関係は、カテゴリーに押し込めない」という2023年のインタビュー発言

一方で、否定する材料もある。公式な声明は一切ない。直接的な接触を示す確かな証拠もない。二人ともが、この話題について沈黙を貫いている。

どちらが正しいのかは、たぶん、二人にしか分からない。
そして二人にすら、はっきりとは分かっていないのかもしれない。

……私が気になるのは、そこではない。

「Untitled, 2014」。この曲のタイトルに「2014」と入れたこと。曲が作られたのか、何かが起きたのか、それとも何かが終わったのか。いずれにしても、ジヨンはその年号を、わざわざタイトルに残した。しかも「無題」として。名前を付けなかった。付けられなかった、のかもしれない。

名前を付けるというのは、ある意味で決着を付けることだ。「あれは恋だった」「あれは失恋だった」「あれは過ちだった」。そう名付けた瞬間に、体験は物語になって、棚にしまえるようになる。でも、名前を付けないまま世に出すということは、まだしまえていないということだ。まだ手の中にある。まだ温かい。

歌詞の核心にあるのは、「忘れられない、でも引き止める言葉が見つからない」という感情だと言われている。未練と決別が同時に存在している。忘れたいのに忘れられない、という話ではない。もっと厄介だ。忘れたくないのに、そばにいる理由が見つからない。そういう種類の痛みだと思う。

あの曲を初めて聴いたとき、私は自分の過去のことを考えていたわけではなかった。ただ、ジヨンの声が妙に近かった。ヘッドフォンの中で、耳のすぐそばで、誰かが独り言を言っているような距離感。派手な演出はない。BIGBANGの楽曲にあるような圧倒的なビートもない。ピアノと声。それだけ。

息を止めていた、と気づいたのは曲が終わった後だった。

2017年にリリースされた曲に「2014」と付ける。3年の空白がある。感情の処理というのは時系列に従わない。あの頃はまだ言葉にできなかったものが、3年経ってようやく音になった、ということなのかもしれない。あるいは、3年経っても言葉にならなかったから「無題」のまま出した、ということなのかもしれない。

どちらにしても、あの曲がジヨンにとって特別なものであることは間違いないだろう。ソロ活動の集大成とも言えるアルバム「権志龍」のラストに置かれたこの曲は、それまでの派手で攻撃的なG-DRAGONというペルソナを全部脱いだ後に残った、生身の声だった。

沈黙の中にあるもの

水原希子のほうは、もっと静かだ。

彼女はこの関係について、ほとんど何も語っていない。語らないことを選んでいる、と言ったほうが正確かもしれない。2023年のインタビューで「大切な人との関係は、カテゴリーに押し込めない」と語ったとされる発言は、直接ジヨンのことを指しているかどうかすら分からない。でも、あの言葉は「Untitled」という曲名への、意図せざる応答のように聞こえる。名前を付けない。カテゴリーに押し込めない。同じ姿勢だ。

2024年のインタビューでは「過去は変えられないけれど、過去との関係は変えられる」とも語ったらしい。これは……深い。過去の出来事そのものは動かない。でも、その出来事が今の自分にとって何を意味するかは、変わり続ける。30代半ばの人間の言葉として、その成熟に少し背筋が伸びる思いがした。

復縁、という言葉を当てはめるには、まず「縁が切れた」ことが前提になる。でも、二人の場合、切れたのかどうかすら定かではない。公に結ばれたこともなければ、公に別れたこともない。Untitledのまま、十年以上が過ぎている

ファンの間では、二人の関係を示す「証拠」を集める動きが今も続いている。同じブランドを身に着けていた、同じ時期に似たような写真を上げていた、同じ場所にいたかもしれない。そうした断片を繋ぎ合わせて、物語を作ろうとする。

その気持ちは分かる。人間は物語を必要とする生き物だから。曖昧なものを曖昧なまま放っておけない。名前を付けたい。「恋人」「元恋人」「復縁」「友人」。何かのラベルを貼って、安心したい。

でも、たぶん、ジヨンも水原希子も、そのラベルを拒んでいる。

それは不誠実なのではない。むしろ逆だと思う。名前を付けた瞬間に、そこからこぼれ落ちるものがある。「恋人」と呼べば友情の部分がこぼれる。「友人」と呼べば愛情がこぼれる。「他人」と呼べば……共に過ごした時間のすべてがこぼれる。だから、無題のままにしておく。それが、あの関係に対する最も誠実な態度なのかもしれない。

名前のない感情は、名付けられた感情よりも深いことがある。

誰の言葉だったか忘れた。でも、「Untitled, 2014」を聴くたびに、この一文が頭に浮かぶ。

私自身の話を少しだけ。50年も生きていると、名前を付けられなかった関係のひとつやふたつはある。恋と呼ぶには短すぎて、友情と呼ぶには近すぎて、でも他人と呼ぶには……あまりにも多くのものを共有しすぎた。そういう相手。名前がないから、棚にしまえない。ときどき、ふとした瞬間に手のひらの上に戻ってくる。25年前のことなのに、まだ温度がある。

ジヨンがあの曲で歌っていることは、たぶんそういうことだ。K-POPのスーパースターも、経理部の50歳も、この種の痛みの前では同じだ。

2025年。ジヨンは活動を再開し、新しい音楽を作っている。水原希子も新しいプロジェクトを次々と展開している。二人はそれぞれの場所で、それぞれの表現を続けている。復縁するのかしないのか。それは、たぶん、外側から答えを出すようなことではない。

深夜2時。ヘッドフォンから「Untitled, 2014」のピアノのイントロが流れてくる。何度聴いても、最初の数小節で胸の奥がきゅっと締まる感じがする。あの感覚には、まだ名前がない。

名前がないまま、ここに置いておく……