G-DRAGONと小松菜奈——二人の線が交わった場所のこと

2024年の終わり頃から、G-DRAGON(ジヨン)と小松菜奈の名前が並んで報じられるようになった。韓国メディア、日本の週刊誌、SNS。情報の出どころはばらばらだけど、方向は同じだった。二人が会っている、と。

G-DRAGONは、BIGBANGのリーダーとしてK-POPの世界的な潮流を作った人物であり、同時に音楽の外側——ファッション、アート、ブランディングの領域でも独自の磁場を持つ、たぶん韓国が生んだ最も多面的な表現者の一人だと思う。小松菜奈は、日本の映画とモードの境界を静かに歩いてきた女優であり、モデルだ。2021年に菅田将暉と結婚したことは広く知られている。その後の関係の変化と重なる形で今回の報道が出たことで、注目度は一気に跳ね上がった。

双方の事務所は、明確なコメントを出していない。否定も、肯定も。
……いつものパターン、と言えばそうかもしれない。けど、この沈黙の質が、私には少し違うもののように感じられた。

守っているのだと思う。何を、とは言えないけれど。

時系列を辿る——点が線になるまで

二人の接点を時系列で整理してみる。ただし、公式に確認された情報は限られている。メディア報道と状況証拠を並べるしかない。その前提で。

  • G-DRAGONは以前から日本のクリエイターとの交流が深い。NIGO、藤原ヒロシ、村上隆——東京のストリートとアートの中心にいる人たちとの関係は長く、彼が日本のクリエイティブコミュニティに自然に溶け込んでいたことは、よく知られた話だ。
  • 小松菜奈もまた、国内の映画やドラマだけでなく、国際的なファッション誌やブランドのキャンペーンを通じて、アジア圏のモード界に確かな存在感を持っていた。
  • 2024年後半、複数の韓国メディアが二人の接触を報じ始める。具体的な場所や日時が示されたものもあった。
  • 週刊文春が、より詳細な同行情報を掲載。日本国内でも一気に話題が広がった。

出会いの正確なきっかけは、公には明かされていない。ただ、二人の活動圏を考えれば、ファッション関連のイベントや共通の知人を介した出会いが自然だろうと思う。東京やパリのコレクション期間中、あるいはブランドの招待席。そういう場所で同じ空気を吸っていた可能性は十分にある。

G-DRAGONの過去の恋愛報道で最も大きかったのは、水原希子との関係だろう。2017年頃に交際が報じられ、彼のソロアルバム「Kwon Ji Yong」に収録された「Untitled, 2014」が水原希子に向けた曲ではないかと、当時かなり話題になった。「Untitled」——題名のない曲。名前を付けられなかった感情。あの曲を深夜にヘッドフォンで聴いたとき、私は息を止めていた記憶がある。歌というより、告白に近かった。声が震えていた。あれは演技ではなかった、と今でも思う。

水原希子もまた、国境やジャンルを横断する存在だった。アメリカ生まれ、日本育ち、モデルであり女優であり、政治的な発言も辞さない。G-DRAGONの隣にいることに違和感のない人だった。
けど、二人の関係は続かなかった。理由は分からない。分かる必要もない。

それから数年が経ち、兵役があり、沈黙の時間があり、2024年に「POWER」で帰ってきた。
そして今、隣にいるのは小松菜奈だという。

なぜ小松菜奈だったのか。この問いに正解はない。恋愛に正解があるわけがない。けど、二人の表現者としての輪郭を並べてみると、見えてくるものがある。

G-DRAGONのファッションは、一言でいえば「境界を壊す」行為だ。ラグジュアリーとストリートを混ぜ、ジェンダーの枠を揺さぶり、自分のブランド「PEACEMINUSONE」を通じて、完璧ではない美しさ——欠けていることの力を提示してきた。PMOのロゴが菊の花であることは、日本文化への深い親和性を静かに示している。

小松菜奈の表現にも、似たトーンがある。彼女が纏う空気は、華やかさよりも「不穏さ」に近い。映画でもファッションでも、どこか危ういもの、壊れかけているもの、名前のつかない感情のそばにいる人だ。笑顔の奥に影がある。あるいは、影のなかに光を見つけるタイプの人。

二人に共通しているのは、アートとファッションを「生き方」として実践していることだと思う。着るものを選ぶことが表現であり、誰と会い何を作るかが作品であるような生き方。商業的な成功と芸術的な誠実さの間で、どちらも捨てずに立っている人たち。

もう一つ。二人とも、沈黙を恐れない。

G-DRAGONは何年も黙っていた。小松菜奈も、私生活について多くを語らない人だ。この時代に、黙っていられることは一つの強さだと思う。SNSで毎日何かを発信し続けなければ忘れられてしまうという恐怖の中で、黙ることを選べる人は少ない。

沈黙もまた、表現の一つだ。言わないことで伝わるものがある。

私がこの二人の関係に妙に引っかかるのは、たぶんそこだ。二人とも、説明しない。弁解しない。ただ、そこにいる。報道が出ても、否定も肯定もしない。それが戦略なのか、ただの沈黙なのかは分からない。でも、その沈黙のなかに、ある種の品がある。覚悟と言ってもいいかもしれない。

G-DRAGONの楽曲には、ときどき私的な感情が剥き出しになる瞬間がある。「Untitled, 2014」がそうだったし、「CROOKED」のMVで一人で街を彷徨う姿もそうだった。あの映像を見たとき、腕の毛が逆立つような感覚があった。孤独を演じているのではなく、孤独そのものだった。クォン・ジヨンという人間の、ペルソナの隙間から漏れ出す本当の体温。

小松菜奈という人は、もしかすると、そういう体温に触れられる人なのかもしれない。推測に過ぎない。けど、同じ種類の孤独を知っている人同士は、言葉がなくても通じることがある。私はそう信じている。根拠はない。50年生きてきた、ただの勘だ。

深夜、針を落としながら思うこと

G-DRAGONが2024年にリリースした「POWER」を、私は発売日の深夜に聴いた。7年という時間を経て戻ってきた声は、思っていたより軽かった。軽いけど、芯がある。力みがない。力んでいた頃の彼を知っているから、余計にそう感じたのかもしれない。

36歳になった彼が何を見て、何を選び、誰と過ごしているのか。それは本来、私たちが立ち入る領域ではない。
……でも、気になってしまう。それは野次馬根性ではなく、たぶん、ある種の祈りに近い。

自分の好きな表現者が、ちゃんと息をしていてほしい。舞台の上だけでなく、舞台を降りた場所でも。深夜に、誰かと静かに笑っていてほしい。それがどんな形であっても。

50にもなると、他人の恋愛にいちいち騒ぐ気力はない。けど、二人の名前が並んだ記事の見出しを見たとき、不思議と嫌な感じがしなかった。それだけのことだ。

レコードが一周して、針が内側の溝に入る。規則的なノイズが繰り返される。
まだ裏返す気にならない。もう少し、この余韻のなかにいたい。

二人の沈黙が、どうか、二人だけのものであり続けますように……