成宮寛貴が消えた日のこと

2016年12月のことだった。成宮寛貴が芸能界を去った。

突然、という言い方が正しいのかどうか。たぶん、本人の中ではずっと前から決まっていたことなのかもしれない。でも、こちら側からすると、やはり「突然」だった。インスタグラムに投稿された引退の言葉。「これからは一人の人間として生きていきたい」。あの一文を読んだとき、私は会社の昼休みにスマホを見ていて、しばらく画面から目を離せなかった。

成宮寛貴。1982年生まれ。映画『ピンポン』のアクマ。『相棒』の甲斐享。ドラマ『ごくせん』。中性的で、どこか危うくて、画面の中で異質な光を放つ俳優だった。引退の直前、週刊文春による薬物使用疑惑の報道があった。本人はこれを否定。しかし、否定した直後に、芸能界そのものから身を引いた。逮捕もなければ起訴もない。法的には何も確定していない。ただ、報道があり、引退があった。それだけが事実として残っている。

あれから何年経っただろう。8年か。成宮寛貴は現在、海外を拠点に生活しているらしい。拠点はニューヨークだと言われている。芸能界への復帰を示す公式な動きはない。SNSも大幅に縮小されている。つまり、彼はほぼ完全に「消えた」のだ。

……でも、消えた人間のことを、私たちはまだ覚えている。検索窓に名前を打ち込む人がいる。「成宮寛貴 現在」「成宮寛貴 引退 本当の理由」。その検索行為そのものが、彼がまだ誰かの中に残っている証拠だと思う。

バーキンと、名前を捨てるということ

成宮寛貴の話をするとき、避けて通れないのが「バーキン」の話だ。

エルメスのバーキン。あの、一つ数百万円するハンドバッグ。成宮は芸能活動時代から複数のバーキンを所有していたことで知られていた。ファッション誌でのモデル活動もしていたし、服やバッグへのこだわりは相当なものだったらしい。引退後も、そのライフスタイルがラグジュアリーブランドと結びついた形でたびたび話題になった。「引退したのに、なぜあんな高いものを持てるのか」という、まあ、そういう下世話な関心とセットで。

正直に言うと、私はバッグのことはよくわからない。革の質とか、ステッチの美しさとか、そういうのは私の領域ではない。でも、一つだけわかることがある。ある対象に異常なまでの執着を持つ人間の目つき。あれは、コレクターの目だ。私がレコード屋の棚を端から端まで指でなぞるときの、あの感覚と、たぶん同じものだ。

バーキンを持つ成宮寛貴。それは「芸能人としての記号」だったのか、それとも「一人の審美家としての選択」だったのか。引退前と引退後で、同じバッグを持つ意味が変わる。看板を下ろした人間が、それでもなお美しいものを手放さないということ。それは虚栄ではなく、もっと切実な何かだと、私は思う。自分が自分であるための、最後の一線みたいなもの。

成宮は引退後、「平宮博重」という名前を使い始めたと言われている。成宮寛貴という芸名を捨てたのだ。名前を捨てる、という行為について、少し考える。

私は「Fade」という名前でこのブログを書いている。本名は誰にも明かしていない。名前を隠す側の人間だ。でも成宮の場合は逆で、何百万人に知られた名前を、自分から手放した。あれだけの知名度を持つ名前を捨てるのは、どういう感覚なのだろう。レコードのコレクションを全部捨てるようなものだろうか。いや、違う。もっと深い。自分の体の一部を切り離すような感覚に近いのかもしれない。

……想像するだけで、背中が冷たくなる。

引退の「本当の理由」について、世の中にはいくつかの仮説がある。

  • 薬物疑惑報道への対応として、身を引くしかなかった
  • 芸能界という場所への根本的な違和感が限界に達した
  • 精神的・身体的な疲弊からの回復を求めた
  • 私的な人間関係やライフスタイルを守るため

どれか一つが「本当の理由」だと断定することは、たぶんできない。人間が大きな決断をするとき、理由は一つではない。複数の川が合流して一本の流れになるように、いくつもの事情が重なって、ある朝、「もういい」と思う瞬間が来る。そういうものだと思う。少なくとも私が知っている「決断」というものは、いつもそういう形をしていた。

ただ、一つだけ確かなことがある。法的には何も確定していない人間が、報道によって社会的に「終わった」とされたという事実だ。逮捕されていない。起訴されていない。有罪判決を受けていない。なのに、芸能界にいられなくなった。この構造そのものが、私にはずっと引っかかっている。

週刊誌の報道が出たとき、ネット上は騒然としていた。私はあの夜も、いつものように6畳の部屋にいて、ヘッドフォンで音楽を聴いていた。たしかマイルス・デイヴィスの『Kind of Blue』だったと思う。いや、違うかもしれない。記憶は曖昧だ。でも、スマホの画面をスクロールしながら、どんどん気分が重くなっていったことは覚えている。事実かどうかもわからない情報が、ものすごい速度で拡散していく様子を見ていた。人々が「真実」を求めて、でも実際には「確定していないこと」を「確定したこと」のように語り始める。あの速度と熱量に、胃のあたりがきゅっと締まるような感覚があった。

「このままでは自分のプライバシーが侵害され続ける」

成宮がそう言ったとき、あれは悲鳴だったのだと思う。整然とした引退声明の体裁をとってはいたけれど、あの言葉の底にあったのは、追い詰められた人間の声だった。少なくとも、私にはそう聞こえた。

海外移住という選択について。ニューヨーク。あの街は、誰もが「誰でもない人間」でいられる場所だと聞いたことがある。匿名性と多様性が共存する街。日本のメディアの視線が物理的に届かない場所。それを「逃げた」と言う人もいるだろう。でも、自分の尊厳を守るために場所を変えることを「逃避」と呼ぶのは、あまりにも安易だと私は思う。

かつての共演者や関係者からは「元気にしている」「充実した生活を送っている」という話が漏れ聞こえてくることがある。本当かどうかはわからない。でも、そうであってほしいと思う。これは希望だ。根拠のない、ただの希望。

消えた人と、残る余韻

映画『ピンポン』を最後に観たのはいつだったか。たしか十年以上前、深夜にテレビで再放送されていたのを、たまたま途中から観た。成宮が演じたアクマ――ドラゴンに執着し、勝利に飢え、最後には壊れていくあのキャラクター。画面の中の成宮は、本当に痛そうだった。演技なのに、痛みが画面を超えて伝わってくるような。あのとき、息を詰めて観ていた自分を覚えている。

俳優という仕事は不思議なもので、本人がいなくなっても、作品の中にはずっと残っている。成宮寛貴はもう芸能界にいない。でも、『ピンポン』のアクマは今もDVDの中で叫んでいるし、『相棒』の甲斐享は再放送のたびに画面に現れる。本人が消えても、影だけが残り続ける。それが俳優という存在の奇妙さだ。

「成宮寛貴 現在」と検索する人がいる。その人は何を知りたいのだろう。元気でいるかどうか。何をしているか。幸せかどうか。……たぶん、そのどれでもあり、どれでもないのだと思う。ただ、消えた人のことが気になる。それだけのことだ。好きだった俳優が、ある日突然いなくなった。その不在が、ずっと小さな棘のように刺さっている。

レコードに針を落とすと、最初にプチプチという音がする。音楽が始まる前の、あの数秒間の沈黙。あれが好きだ。何かが始まる予感と、でもまだ何も始まっていない静けさ。成宮寛貴の「現在」は、あの沈黙に似ている気がする。何も聞こえない。でも、針は盤の上に載っている。音楽が始まるかどうかは、まだわからない。

始まらないかもしれない。それでもいい。沈黙もまた、一つの表現だ。

深夜2時。ヘッドフォンを外す。部屋は静かだ。成宮寛貴のことを書いた。なぜ書いたのか、自分でもよくわからない。ただ、消えた人のことを、誰かが覚えていた方がいいと思った。それだけだ……。