2026年3月11日——ニーナ・ハーゲンが71歳になる日に

ニーナ・ハーゲンが1955年3月11日、東ベルリンで生まれた。今日で71歳になる。

パンクロックの「ゴッドマザー」と呼ばれることが多い人だけど、その呼び方はたぶん正確じゃない。正確じゃないというか、足りない。パンクでもあり、オペラ歌手でもあり、スピリチュアリストでもあり、UFO信奉者でもあり……どれか一つに括ろうとすると、必ずはみ出す部分がある。はみ出す部分にこそ、この人の本体がある気がする。

東ドイツ出身。義父は体制批判で国外追放されたフォーク・ポエトのヴォルフ・ビアマン。その抗議声明に署名したことで、ニーナ自身も事実上の亡命を余儀なくされた。1976年、21歳。それからロンドンでセックス・ピストルズやクラッシュに出会い、パンクという言葉を身にまとうようになる。

でも、彼女にとってパンクは「ジャンル」じゃなかったんだと思う。もっと根っこの部分、「どんな権威にも収まらない」という態度そのものだった。東側の社会主義も、西側の消費資本主義も、どちらにも与しない。その二重の否定が、彼女の声には最初から宿っていた。

私がニーナ・ハーゲンの名前を初めて知ったのは、たしか大学2年の頃だった。友人のアパートで、誰かが持ち込んだVHSのライブ映像。画質は最悪で、音もこもっていた。でも、画面の中で叫び、笑い、唸り、突然オペラのような声を出す女がいて——正直に言うと、最初は「なんだこれ」としか思わなかった。理解できなかった。ただ、身体だけが反応していた。腹の底がざわざわして、画面から目が離せなかった。あの感覚は、30年近く経った今でも覚えている。

一つの喉に二つの世界が住んでいる

ニーナ・ハーゲンの声について語ろうとすると、どうしても言葉が足りなくなる。

彼女は幼少期からクラシックの声楽訓練を受けている。コントラルトからソプラノまで、何オクターブもの音域を自在に行き来できる技術がある。オペラ的なコロラトゥーラ——あの細かく転がるような装飾的歌唱——を完璧にこなせる喉を持っている。

その同じ喉が、次の瞬間にはパンクの絶叫を吐き出す。嘲笑。唸り。赤ん坊の泣き声のような奇声。西洋の音楽的な「美しさ」が長い歴史の中で「雑音」として排除してきたものを、全部引きずり出してステージの真ん中に放り投げる。

1978年のデビューアルバム『Nina Hagen Band』を初めてちゃんと聴いたのは、大学を出てだいぶ経ってからだった。中古レコード屋の片隅で見つけて、ジャケットの異様さに惹かれて買った。帰って針を落として、最初の数曲で何が起きているのか理解するのに時間がかかった。ドイツ語の歌詞はわからない。でも、声そのものが語っていた。

あるフレーズでは、まるでブレヒトの芝居みたいに冷たく突き放すように歌う。次の瞬間、オペラの舞台にいるかのような豊かなビブラートが響く。そしてそれが崩壊して、叫びに変わる。一曲の中で、何度も「これは何のジャンルだ」という問いが発生しては消える。ジャンルという概念そのものが無効化されていく感覚。あれは音楽というよりも、何かの証明だった気がする。

ロラン・バルトが「声の粒子」という概念を書いている。声には技巧を超えた身体的な質感——喉や舌や横隔膜の物理的な痕跡——が宿っている、という話だ。ニーナの声を聴いていると、その言葉がいやでも浮かぶ。彼女の声には、肉体がある。骨がある。内臓がある。クラシックの訓練が磨き上げた「文化的な声」と、それを内側から食い破ろうとする「生の声」が、同じ喉の中で永遠に喧嘩をしている。

その喧嘩が、聴いている側の身体にも伝染する。1979年の『Unbehagen』——ドイツ語で「不快感」を意味するタイトルだけど、フロイトの『文明の不満(Das Unbehagen in der Kultur)』を連想させる——を深夜にヘッドフォンで聴いていたとき、途中で自分が息を止めていたことに気づいた。音楽を聴いて息を止める、という経験はそう多くない。

このアルバムには、ドイツのカバレット文化の諷刺性、ブレヒト的な叙事演劇の疎外効果、表現主義的な身体性が重なり合っている。……と書くと評論家みたいだけど、実際に聴くとそんな整理された印象ではない。もっと混沌としていて、もっと生々しい。整理できないものを整理しないまま放り出す強さ、とでも言うか。

1980年代以降、ニーナはニューヨークに移り住み、音楽性をさらに拡散させていく。レゲエ、ジャズ、ゴスペル。そしてUFOやアストラル投射といったスピリチュアルな世界への傾倒を公言し始める。

多くの人が「迷走」と呼んだ時期だと思う。メディアは面白おかしく取り上げた。「奇人」「変人」というレッテル。

でも、今振り返ると、あれは迷走ではなかったのかもしれない。パンクが「既存の価値観を否定する」ことだとしたら、彼女はパンクの精神をパンクというジャンルの外にまで持ち出しただけだ。科学が語れないもの、政治が扱えないもの、宗教が独占しようとするもの——そういう「制度の隙間」に手を突っ込んでいく行為は、パンクの延長線上にあると私は思う。

2010年前後には『Personal Jesus』のようなアルバムで、キリスト教的な信仰を音楽に取り込んだ。パンクから宗教へ。一見すると矛盾している。でも、オペラの起源がそもそも宗教的・神話的な物語の音楽化だったことを考えると、パンクからスピリチュアリティを経てオペラ的な宗教声楽に至る道筋は、むしろ一本の線でつながっている。

声を通じて、世俗の言葉が届かない場所に手を伸ばそうとすること。

それがオペラであれ、パンクの絶叫であれ、ゴスペルであれ、やっていることの本質は変わらないのだと思う。

彼女がオルタナティブ・シーンに与えた衝撃は、「パンクにオペラを持ち込んだ」という技術的な話だけでは片づかない。もっと根本的な部分——表現とは何か、声とは何か、一つのジャンルに収まることを拒否し続けるとはどういうことか——という問いを、身体ごとぶつけてきた。それを受け止めた後の世代のアーティストたちが、どれだけ影響を受けたかは計り知れない。ビョークやPJハーヴェイ、あるいはディアマンダ・ガラスといった名前を挙げる人もいる。直接的な影響があったかどうかはわからない。でも、「あれをやっていい」という前例を作ったこと自体が、一つの地殻変動だった。

境界線の上で鳴る声

深夜、ヘッドフォンでニーナ・ハーゲンを聴くと、いつも不思議な気持ちになる。

分類できない。好きかどうかすら、すぐには答えられない。心地いいとは言えない。でも、聴き終わった後、静寂がやけに深く感じられる。さっきまで鳴っていた音の余韻が、部屋の空気にまだ残っているような。

71歳になった今も彼女は活動を続けているらしい。ヨーロッパ各地でパフォーマンスを行い、政治的な発言もやめない。極右化する社会への批判、個人の魂の自由の擁護。40年以上前から言っていることと、たぶん本質は変わっていない。

東ベルリンで生まれ、国を追われ、パンクに出会い、オペラの声でそれを歌い、宇宙を語り、神を語り、それでもどこにも属さない。どの国にも、どのジャンルにも、どの思想にも完全には回収されない声。

50も過ぎると、自分がどういう人間なのか、だいたいわかったつもりになる。経理部の会社員で、音楽が好きで、妻と子供がいて、深夜にレコードを聴いている。それで十分だと思っている。でもニーナ・ハーゲンの声を聴くと、「十分」という言葉がほんの少しだけ揺らぐ。自分の中にも、まだ出していない声があるんじゃないかと、ふと思う。たぶん思うだけで終わるのだけど。

レコードの針が内周に達して、規則的なループ音が鳴っている。針を上げる。静寂。

ニーナ・ハーゲン、71歳の誕生日。境界線の上で、まだ声は鳴っている……。