先日、貴乃花親方が日本相撲協会へ退職届を提出したことで話題なりましたが、改めて貴乃花親方が筋の通った性格であることがわかりましたね。
間違ったことに関してはテコでも首を縦に振らない姿に、感動しました。
9/25の引退記者会見では志半ばにして協会を去ることに無念さを滲ませていました・・・
今回、その貴乃花親方が芯にしている考え方や格言をまとめました!
貴乃花部屋の訓辞!これこそ貴乃花親方の教え
一、力士道に忠実に向き合い日々の精進努力を絶やさぬ事
二、人の道に外れないよう自身を鍛え勝負に備える事
三、弱き者を援け強き己を築き上げる事
四、先輩と後輩の秩序を守り信念を汚さない事
五、先輩は後輩を見守り後輩は先輩を敬う事
六、勇気 元気 活気 生まれ持つ気質を鍛える事
七、授けられた命ある限り生涯を懸けて進路を全うする事
八、人を妬むことなく己の心と常に闘い研磨する事
九、三六五日を鍛え三六五日以後に結果を求めない事
十、努力に勝る天才はなし!
善の心は良き己を支配し新しい明日を開拓する
冷静さと深さを追求し川の流れのように静けさと
激しさを兼ね備えて自然体である事
貴乃花部屋の訓辞を見ると、貴乃花親方が考えていることは一貫しているような気がしますね。特に後輩力士への育成に力を入れ、先輩・後輩の関係性に重きを置いていることがわかります。
弟子の貴ノ岩が傷害事件に巻き込まれた原因一つがモンゴル出身力士の先輩・後輩関係のこじれが大きいので、そこが貴乃花親方が許せなかった理由なんでしょうね・・・
貴乃花親方の格言
まずは周りの話をよく聞いて、自分で吟味し、そしてそこから答えを出したなら、それについての意見は一切気にしないようにしています。つまり、やると決めたことは最後までやり通すということです。その考えは一貫して変わりません
ただでさえ体が大きくて威圧的に見える力士が、道の真ん中を肩で風を切って歩いている姿なんて、私に言わせれば論外です。ほかに歩いている方々の邪魔にならないよう道の端っこを歩くべきです。そしてその姿勢は四股を踏む型どおり、背筋を伸ばした凛とした風体であるべきだと思います。
やはり自分には実感として相撲界は縁の下の力持ちである女性に支えられてきたという思いがあるんです。おかみ業なんていうのはその最たるものです。弟子たちの身の回りの世話、お金の管理、食材の買い出しなど、おかみがいるからこそ男たちは相撲に集中することができます
土俵の上が本当に魅力的な場になるためは、あべこべに聞こえるかもしれませんが、どれだけ土俵の外で相撲道の在り方を体現できているかが重要なんです
競技が終わったら出番はおしまいというものではありません。勝っても負けても相手を敬おうとする姿勢であったり、目上の者に対して礼儀正しく振る舞う礼節であったり、相撲には日本人として誇るべき美しい作法やしきたりが多く残されています。力士はそれを担っているという自覚を持たなきゃいけないし、また、地域の人と交流を持ってそういう文化を普及させていこうという姿勢をもたなければならないと思います
歴史上に名を残している人物は圧倒的に男性が多いですが、それらの偉人だって必ず女性に支えられていたはずですよ。そもそも女性の命がけの営みがなければ、我々男性はこの世に生まれてくることもないのですから
幸せをもたらすうえで根っこにあるのは、土俵でお客さんをどれだけ魅了できるかです。さらには魅了を超えて、感動させることができるかどうか。それは、簡単に勝負が決まらない粘り腰の相撲であったり、事態を一瞬にして打開する鮮やかな技の応酬であったり、お客さんを会場まで足を運ばせるのは、結局そういった相撲そのものが本来もっている魅力だと思います
自分のためではなく、人のために生涯を過ごすことがやはり日本人の幸せであるし、そこに一貫性を持つことは相撲界が公益性をもって生き残るうえでも大事だと思っています
自分さえいい思いをすればいいというのは苦手です。「武士は食わねど高楊枝」という言葉がありますが、相撲界には残しておきたい言葉です。相撲界は地位が上の者から食べますが、私の部屋では兄弟子たちに一番弱い立場の後輩に目を配れと言っています。体をつくらなければいけないわけですから
成長していく過程できついとかつらいとか思う、そういう環境に追い込むことが親方の仕事だと思っています。五体満足で生んでもらったことへの感謝の気持ちがあれば,体が不自由で相撲を取りたくても取れない子がいるのに,きついって言ってられるかって
他の部屋の多くは強い者から順番に食べていきますが、うちの部屋では、下の弱い者から食事をさせています。あまりがつがつとさせないため、豊かな心で強くなれ、強くなると人にも優しくなれるから、とね
プロは、「努力をしている」などと言うことは禁句の世界です
負けて得るものより、勝って得ることの方が全然大きい。勝負事はやっぱり勝たなければいけない
たとえば岐路に立たされて、どちらの道かって迷ったときには、行きたくないほうの道を選べ、ということは徹底して言ってます。たぶん若いうちにそれが目の前にくるのか、時間の誤差だけだと思うんですね、人生っていうのは。ですから、先に若いうちにやっときゃいいだろうと
まずは、どんな時でも踏ん張らなければいけないと思います。私は弟子たちにも「がんばれ」とはほとんど言いません。無理をして「がんばる」のではなく、信念を貫くために「踏ん張る」です
相撲では、土俵に入る際にお辞儀をし、取組を終えたらまたお辞儀で終わります。これは見栄えのためにやっているものではありません。型通りの所作を地道に続けることで、勝敗がどのように決しようとも相手を敬う気持ちが醸成してゆくのです。そして、最終的にはそれら地道な所作を繰り返す自分に対しても、尊敬の念が芽生えてきます
人は二人以上いれば、その半数は敵になってしまうと私は思います。結果が必ず求められる昨今ですが、まずは本当にやりたことに向かってどんな状況でも諦めずに進むことが大切なんです。結果は後から付いてきますから
人は二人以上いれば、その半数は敵になってしまうと私は思います。結果が必ず求められる昨今ですが、まずは本当にやりたことに向かってどんな状況でも諦めずに進むことが大切なんです。結果は後から付いてきますから
相撲は、一瞬で勝負が決まるでしょ。土俵上の緊迫感は尋常なものではありません。取組中も、自分の得意な形になって「これは勝てる」と思ったらそれが油断となり、隙をつかれて負ける。逆に、「一瞬でも相手の得意な形になったら負けるぞ」と思って最後まで気が張り詰めていれば、勝てる。また「気」ですね。だから「気」を鍛えることが大切なんですよ
心は生まれ持ったもので、自分の力じゃどうにもなりませんでしょ。でも「気」は自分次第。やる気、勇気、活気、これらは自分をよい方向に導いてくれるもので、進むべき道を切り開いてくれるものです。天性のものである心に、自ら鍛えた「気」がうまくかみあって、最後に身体が動かされるんだと思っています。「気」を充実させることが、心を鍛えるということに近しいのかもしれませんね
相撲の稽古とは「古きを知り新しい自分を作り上げること」ですから、スポーツのトレーニングとは少しニュアンスが異なります。相撲の稽古場には神道の考えや仏教の考えが入り込んでいる場所なので、稽古が終われば家族の時間に戻ります。それがオンとオフの切り替えの訓練にもなっているのかもしれませんね