39年前に北朝鮮に拉致された鳥取県米子市の松本京子さん(当時29歳)が、ピョンヤンの朝鮮赤十字病院に入院している可能性があることがわかりました。
松本京子さんは1977年の10月21日に北朝鮮に拉致され、今年で39年目となります。
拉致された10月21日を目前に15日午前、加藤拉致問題担当大臣が拉致された現場を訪れ当時の様子を聞き取り、午後には拉致を考える集いが開かれ兄の猛さんが、改めて早期救出を訴えていました。
松本さんの拉致された当時のことについて調べてみました。
情報は、韓国の拉致被害者家族でつくる「拉北者家族会」の崔成龍(チェ・ソンヨン)代表がピョンヤンの消息筋の話として、日本経済新聞の取材に明らかにしたとのことです。
松本京子さんについて
松本京子さんは、当時鳥取県米子市和田町に住んでいました。
拉致されたときの年齢は29歳でした。
また、当時会社員をされていました。
身長は155㎝ぐらいとされています。
拉致された場所
米子市の海岸でした。
行方不明当時の状況
1977年(昭和52年)10月21日夜、米子市和田町の自宅を出て、母親に後姿を確認されたのを最後に消息を絶っています。【http://www.pref.tottori.lg.jp/38703.htmより引用】
自宅から近所の編み物教室に通う途中で拉致されたそうです。
そして、当時松本さんが行方不明になった当時の情報として、
「現場付近では日本語でない言葉を話していた不審な2名の男が松本さんと思われる女性を、日本海の方に向かって連行していたこと」
「近くの海上には北朝鮮の工作船らしいものが出没していた」という情報がすでに当時、地域のひとから地元の警察に寄せられていた
【http://blogs.yahoo.co.jp/kinoko1935/23834351.htmlより引用】
しかし、松本さんが拉致被害者と認定されたのは、拉致されてから29年後の2006年でした。
当時の警察のずさんさが目に見えてきます。
もし早く手を打っていてくれさえすれば、こんなに多くの被害者がでず、またこんなに長く関係者が苦しめられることはなかったはずです。
そう思うと悔しくて仕方がありません。
もしそれが自分の身内だったり、とくに子供だったら・・・
考えるだけで胸が締め付けられる思いがします。
松本さんの家族
母みつえさんは、当時京子さんが現場に残していたという片方だけのサンダルをずっと大切に胸に抱きながら無事に娘が返ってくる日を待っていたそうです。
みつえさんは、4年前の2012年に亡くなられました。
兄、松本猛さん(69歳)は、
10月15日に米子市で開かれた、「拉致問題を考える集い」において、
「(妹が拉致されてから)今年で39年、本当に長い年月が経ちましたけども、
いまだに帰れるという望みはございません。しかし私どもは諦めるわけにはいきません。」
と語られていました。
この時、入院中であるとの情報を知っておられたのでしょうか?
入院中の情報が本当なら、一気に情報を集めて帰還につなげていきたいところです。
松本京子さんの新情報
今回の崔氏の情報によると、
松本さんとみられる女性は目を悪くしており、痛風も患っているという。【http://www.nikkei.com/article/DGXLASGM15H4S_V11C16A0CC1000/より引用】
痛風といえば、血液中に尿酸がたまる病気です。
栄養が足りていないと普通はなることのない病気です。
このことから、食生活においては、栄養不足状態であることは考えにくいと思います。
崔氏の情報の真偽については不明だが、韓国の情報機関、国家情報院は2013年、松本さんがこの数年前に北東部の清津(チョンジン)から移送されて平壌に住んでいるとの見方を示していた。【同】
北朝鮮は松本さんについて「そのような人物は存在しない」と拉致した事実自体を否定しています。
政府は動くでしょうか。
国がどう動くか注目されるところです。
現在日本政府が認定した拉致被害者は17人です。
そのうち5人が帰国しています。
残り12人のうち北朝鮮は、「8人は死亡、4人は入境せず」と主張しています。
日本政府は、「全員が生存しているとの前提で対処する」との立場をとっています。
まとめ
拉致されて39年目を迎えようとする松本京子さんについて、15日、朝鮮赤十字病院に入院中との情報が入ってきました。
北朝鮮は拉致したこと自体を否定し松本さんは存在しないとしています。
新たな拉致被害者の新情報に緊張感が走ります。
政府が動き問題が少しでも進展することを願います。
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