上戸彩が痩せた、という話をするとき、私たちは何を見ているのか

2024年から2025年にかけて、上戸彩の体型変化がたびたび話題になっている。テレビに映るたびに「痩せた」「心配」という声がSNSに溢れ、「上戸彩 激痩せ 理由」「上戸彩 ストレス」「上戸彩 現在」といった検索ワードがトレンドに上がる。

上戸彩。1985年生まれ、東京出身。2000年代初頭から日本のテレビドラマに欠かせない存在であり続けてきた女優だ。「金八先生」「アタックNo.1」で「国民的妹」と呼ばれ、「昼顔」で大人の女の陰影を見せ、ソフトバンクのCMでは家族の象徴として画面に居続けた。2012年にEXILEのHIROと結婚し、3人の子どもを育てながら、第一線から退かない。

その彼女が、痩せた。
頬の線が変わった。腕が細くなった。
それは事実として、画面越しに見て取れるらしい。

で、私は思う。
痩せた、という事実の裏にあるものを、私たちはどこまで想像していいのだろう。そして、どこから先は踏み込んではいけないのだろう。

そのことを、少し考えてみたい。

見られる身体、語られる身体

理由について、いくつかの説がある。整理すると、だいたいこのあたりに集約される。

  • 3人の育児と仕事の両立による慢性的なストレス
  • 夫・HIROとの関係性や家庭環境の変化
  • 芸能界で求められる「若さ」「美しさ」の維持プレッシャー
  • 意図的なダイエットや食事管理の結果

どれが正しいのかは、わからない。本人が語っていない以上、わからないとしか言えない。事務所からの公式コメントもない。医療的な診断が公開されているわけでもない。

ただ……私がひとつ気になるのは、これらの「説」がどれも、外側から貼り付けたラベルだということだ。

「ストレスで痩せたのでは」「ダイエットのしすぎでは」「夫婦関係が原因では」。
どれも、画面に映った身体を見て、その奥にある生活を想像して、勝手に物語をつけている。私を含めて。

上戸彩は、ずっとそうやって「見られる側」にいた人だ。

10代で芸能界に入り、20代で国民的女優と呼ばれ、30代で結婚・出産しながらキャリアを維持し、39歳の今も画面に立ち続けている。その間ずっと、身体を——顔を、体型を、笑顔を、老い方を——見られ続けてきた。

「昼顔」を観たとき、私は少し息を止めた記憶がある。
2014年のあのドラマで、上戸彩は不倫する主婦・笹本紗和を演じた。あの清潔で明るいイメージの人が、抑えきれない感情に溺れていく。その落差が、演技を超えたところで何かを暴いていた。

あのドラマが成立したのは、上戸彩が「上戸彩」だったからだ。
「国民的妹」「白戸家の娘」「みんなの上戸彩」。そのイメージを知っている視聴者が、彼女の身体を通して、人間の奥にある孤独や渇望を見た。きれいな表面の下に何かがある、ということを、身体で見せた。

あの演技から10年が経って、今度はフィクションではなく、現実の身体が「語っている」。
でも、語っているのか。本当に?
語っているように、こちらが読んでいるだけかもしれない。

……ここが、難しい。

産後の体型変化は、3人産めば当然あるだろう。39歳の身体は、25歳の身体とは違う。代謝が変わる。回復に時間がかかる。それは誰でもそうだ。私だって50になって、20代の頃の体力なんてとっくになくなっている。階段を上るだけで息が切れる。それを誰かに「大丈夫?」と聞かれたら、「大丈夫だよ、歳だよ」と答える。

でも、上戸彩はそうはいかない。
彼女の身体は「私的なもの」であると同時に、否応なく「公的なもの」になっている。テレビに映った瞬間、その身体はスクリーンショットされ、拡大され、過去の画像と並べられ、比較され、議論される。

本人の声を介さないまま、身体だけが語り始める。
それは、ちょっと怖いことだと思う。

HIROとの結婚生活についても、いろいろ書かれている。EXILEのリーダーとしての活動を縮小しつつある夫と、第一線で仕事を続ける妻。家庭内の力関係が変わったのではないか、プレッシャーがあるのではないか、と。

それも、わからない。
他人の結婚の中で何が起きているかなんて、当事者以外には絶対にわからない。
私だって25年以上結婚しているけど、妻が本当に何を考えているか、全部わかっているとは言えない。たぶん、妻のほうも同じだ。結婚とはそういうものだ。わからない部分を残したまま、それでも一緒にいる。

ただ、ひとつだけ言えるのは、「痩せた」という現象に対して、「心配」と「賞賛」が同時に起きていることの奇妙さだ。

「痩せすぎじゃない? 大丈夫?」と言う人がいる。同時に、「きれいになった」「スタイルいい」と言う人もいる。心配と賞賛が、同じ画像に対して同時に投げかけられる。

それは矛盾しているようで、たぶん矛盾していない。
私たちは「痩せた女性の身体」を心配しながら、同時にそれを美しいと感じるように訓練されている。

その感覚の根っこにあるものを、本当は直視しなければいけないのだろう。
けど、そこまで踏み込むと、上戸彩の話ではなくなってしまう。私たち自身の話になる。

……まあ、最初からそうなのかもしれないけど。

画面の向こうに、人がいる

深夜にヘッドフォンをして音楽を聴いているとき、ふと歌い手の息遣いが聞こえる瞬間がある。マイクが拾ったかすかな呼吸。録音技術が発達しても消せない、生身の気配。

上戸彩をテレビで見るとき、時々そういう瞬間がある。
CMの合間に映る、ふとした表情。笑顔の直前、あるいは直後の、0.5秒くらいの顔。そこに、生身の人間がいる。39歳の、3人の子どもの母親で、25年近く画面に立ち続けてきた一人の女性がいる。

彼女が痩せた理由を、私は知らない。
ストレスかもしれないし、ダイエットかもしれないし、体質の変化かもしれないし、何か別のことかもしれない。

知らないし、知る必要もないのだと思う。

ただ、画面の向こうに人がいるということだけは、忘れたくない。
検索ワードの向こうに、記号ではない身体がある。「激痩せ」というラベルの下に、毎日起きて、子どもを送り出して、現場に立って、笑顔を作って、夜に帰ってくる、一人の人間の生活がある。

私は経理部で25年、数字を見てきた人間だ。数字は嘘をつかないけど、数字だけでは何も語れない。体重という数字もたぶんそうだ。増えた、減った。その数字の裏に何があるかは、数字自体は教えてくれない。

上戸彩が、今日も画面のどこかにいる。
笑っている。少し痩せたかもしれない。でも、立っている。

それだけを、静かに見ていればいいのだと思う。
たぶん……。