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星野仙一氏の死因は何癌(がん)?最近の激ヤセ画像と持病について

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投稿:2018年1月6日
更新:18/2/19

星野仙一プロ野球楽天ゴールデンイーグルス元監督が1月4日に死去されていたことが明らかとなりました。

まずはご冥福をお祈り申し上げます。

大手ニュースサイトでは死因は不明ととなっていますが、球界関係者によると「がんで闘病していた」とのこと。

最近では、11月28日に「野球殿堂入りを祝う会」に出席され、すこしお痩せになった様子が見られていましたが、その時はすでにがんであることがわかっていたのでしょうか?

星野仙一氏のがんや持病、最近の画像についてご紹介します。

楽天ゴールデンイーグルスが星野仙一氏永眠を発表


https://sp.rakuteneagles.jp/news/detail/00000899.htmlより引用】

全文

星野仙一取締役副会長が2018年1月4日(木)午前5時25分に永眠されましたことをご報告いたします。
2016年7月に急性膵炎を発症したことをきっかけに膵臓癌であることが判明いたしました。その後、体調に波はあったものの仕事に支障をきたすことなく過ごしておりましたが、2017年12月末より病状が悪化し、息を引き取られました。最期は昼寝でもしているような安らかな表情でご家族に看取られて旅立たれました。

故人の意思とはいえ、大変お世話になった方々に対し、十分なご報告をせぬまま、この日を迎えてしまいましたこと、心よりお詫び申し上げます。
人前では常に強気を貫いた「星野仙一」のスタイルを最後まで全うしようとしたことですので、何卒ご容赦ください。

息を引き取る直前まで「コーチ会議に出られるかな」と言っておりましたように、最後の最後まで野球に情熱を燃やし、野球に一生を捧げた星野副会長でした。
故人に代わり、今まで支えてくださった全ての皆さまに感謝申し上げます。

星野仙一氏Wikipedia風プロフィール

星野仙一
1947年1月22日生まれ
岡山県倉敷市出身

元プロ野球選手・監督・野球解説者
選手時代のポジションは投手

学生時代

高校時代、甲子園出場は叶わなかった。卒業後に明治大学に進学。当時最強だった法政大学や早稲田大学に阻まれリーグ優勝は果たせず。

プロ野球入り

1968年のプロ野球ドラフト会議で中日ドラゴンズから1位指名を受け入団。
肘の怪我もあり先発中心で起用されたのは5年ほど。現役通算8回の二ケタ勝利、2回の二ケタセーブをマークした。
1974年 リーグ優勝で胴上げ投手となった。沢村賞受賞。
1981年 投手コーチ補佐を兼任。
1982年 2度目のリーグ優勝を機に現役引退を決意。理由は体力の限界と当時の近藤貞雄監督との確執との噂もあった。
1983年 引退

選手歴
岡山県立倉敷商業高等学校
明治大学
中日ドラゴンズ (1969 – 1982)

監督・コーチ歴
中日ドラゴンズ (1981 – 1982, 1987 – 1991, 1996 – 2001)
阪神タイガース (2002 – 2003)
東北楽天ゴールデンイーグルス (2011 – 2014)

【Wikipediaより】

監督時代

1986年に中日ドラゴンズの監督に就任
1991年監督を辞任。この時表向きとしては「健康上の理由」を挙げていたが、実際は夫人の白血病発症が大きく影響していたと言われています。
1995年に中日監督復帰が発表。同年再任される。
1997年夫人が白血病の治療叶わず死去。
2001年成績不振で責任を取る形で中日監督を辞任。
2001年阪神タイガース監督に就任
2003年「健康上の理由」(高血圧)で阪神タイガース監督辞任。
2004年阪神のオーナー付シニアディレクターに就任。
2005年翌年の北京オリンピック野球日本代表監督に就任
2010年阪神対談、東北楽天ゴールデンイーグルス監督に就任
2012年戦後生まれの監督として初の監督通算1000勝を達成。
2014年5月持病の腰痛の持病が悪化。難病の一種である胸椎黄色靱帯骨化症と腰椎椎間板ヘルニアと診断され休養を発表。その後手術をうけ無事終了した。7月の全体練習から監督に復帰したが、チーム低迷もあり監督辞任を発表。
2014年楽天シニアアドバイザー就任。
2015年株式会社楽天野球団取締役副会長に就任
2017年度野球殿堂顕彰者(エキスパート表彰)に選出

星野仙一氏は持病の悪化で監督を退任

星野仙一氏はかねてより高血圧の持病を抱えておられました。

2002年の阪神タイガース監督時代には試合後に体調を崩しベンチ裏で記者を待たせて横になっていたことがあったそうです。
2003年には試合中に4回倒れたという情報もあり、重度の高血圧症であったことが伺えます。

また、2014年楽天ゴールデンイーグルス監督時代に腰痛の持病が悪化します。
5月難病の一種である胸椎黄色靱帯骨化症と腰椎椎間板ヘルニアと診断され、休養を発表、後に手術され無事終了し7月には監督復帰を果たされますがチーム成績低迷も加わり辞任を発表されました。

最後の晴れ舞台となった野球殿堂入りを祝う会

2017年の1月26日、野球殿堂入りが発表されます。

そして、楽天三木谷浩二オーナーが発起人となり、11月28日に東京、12月1日に大阪で、
「星野仙一氏の野球殿堂入りを祝う会」が開催され2000人を超えるプロアマの球界関係者が出席されました。


ORICON NEWSより引用】

「これだけの人が来てくれて野球をやってて良かった。野球と恋愛して良かった。もっともっと恋したい」

星野仙一氏は失われることのない野球への情熱を語られていました。

すい臓がんが判明したのが2017年7月です。この時すでにすい臓がんであることがわかっていたということになります。


sankei.comより引用】

これが最後の晴れ舞台となってしまいました。

写真をみると、確かに一時期の姿よりはお痩せになっている様子が伺えます。
しかし、激ヤセというほどでもなさそうです。
川島なお美さんが胆管癌でしたが、すい臓、胆道系のがんは消化液の分泌不良からくる激ヤセが特徴です。

現在3人に1人ががんになり、2人に1人ががんで命を落とす時代です。
「燃える男」「闘将」と言われた星野仙一氏もがんには打ち勝つことができず本当に残念です。

ご冥福をお祈り申し上げます。

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