スティーブ・ジョブズ71回目の誕生日に想う:フォントが拓いた「音楽の禅」
2026年2月24日、スティーブ・ジョブズが生まれて71年
スティーブ・ジョブズ。1955年2月24日生まれ。Appleの共同創業者で、Macintosh、iPod、iPhoneを世に送り出した人物。2011年に56歳で亡くなった。生きていれば、今日で71歳になる。
音楽の記事を書く場所で、なぜジョブズのことを書くのか。自分でも少し不思議に思う。けど、考えてみれば、この15年ほどで私の「音楽を聴く」という行為そのものを最も大きく変えた人間は、ミュージシャンではなくこの人だったかもしれない。
私がiPodを初めて手にしたのは2004年だったと思う。第3世代か第4世代か、もう正確には覚えていない。タッチホイールをくるくる回す、あの感触だけは指が覚えている。それまでCDウォークマンとMDで音楽を持ち歩いていた人間にとって、あの白い箱は異質だった。音楽を聴くための道具なのに、音楽のにおいがしなかった。金属とプラスチックの、つるりとした沈黙。それが第一印象だ。
でも、あの沈黙の中に何かがあった。余計なものが削ぎ落とされた後に残る、妙な緊張感。レコードに針を落とす前の静寂に、少しだけ似ていた。……少しだけ。
フォントの話、あるいは「見えないもの」への執着
ジョブズがリード大学を中退した後、カリグラフィーの授業に潜り込んでいたという話は有名だと思う。トラピスト修道士のロバート・パラディーノという人物が教えていた授業で、セリフ体とサンセリフ体の違い、文字と文字の間隔——カーニングと呼ばれるもの——の美しさを学んだらしい。
「それは美しく、歴史的で、科学では捉えられない芸術的な繊細さがあった。私はそれに魅了された」
2005年のスタンフォード大学でのスピーチで、ジョブズはそう振り返っている。この授業がなければ、Macintoshに複数のフォントが搭載されることはなかっただろう、と。
フォント。文字の形。普通に暮らしていたら、ほとんどの人が意識しないものだと思う。私だってそうだ。経理の仕事でExcelに数字を打ち込むとき、フォントのことなんて考えない。MSゴシックでもメイリオでも、数字が合っていればそれでいい。
でも、ジョブズはそこに美を見た。というより、「見えないけれど確かに感じるもの」を設計の中心に置いた。文字の間隔が0.5ポイント違うだけで、人間が受け取る印象は変わる。読む速度が変わる。呼吸が変わる。たぶん、そういうことだったんだろう。
これは音楽の話に近い。
たとえばビル・エヴァンスのピアノを聴いていると、音と音の「間」に意味がある。弾かれなかった音が、弾かれた音と同じくらいの重さを持っている。録音エンジニアがマイクの位置を数センチ動かしただけで、ピアノの響きの「手触り」が変わる。聴き手のほとんどはそれを言語化できないけれど、身体は反応している。背筋が少し伸びたり、呼吸が浅くなったり。
ジョブズがカリグラフィーから学んだのは、たぶんそういう感覚だったのではないかと思う。人間は、意識できないレベルの差異を、ちゃんと感じている。だから、見えない部分にこそ手を抜かない。……言葉にすると当たり前のことのように聞こえるけど、これを本気で実践した人間はそう多くない。
ジョブズの「禅」の影響について語られることは多い。曹洞宗の僧侶、乙川弘文に長年師事していたこと。瞑想の習慣。ミニマリズム。家具のほとんどない部屋で暮らしていたという逸話。
正直に言うと、私は禅について語れるほどの知識を持っていない。ただ、鈴木俊隆の「初心(Beginner’s Mind)」という概念——先入観を捨てて、すべてを初めて見るように見る——が、ジョブズの製品づくりの根底にあったという話は、少しだけわかる気がする。
レコードを何百回聴いた盤でも、ある夜、突然違って聞こえる瞬間がある。昨日まで聞こえなかったベースラインが急に浮かび上がってきたり、ヴォーカルの息継ぎの位置に初めて気づいたり。そういうとき、私は椅子の上で少し身体が固まる。息を止めている自分に気づく。40年聴いてきたはずなのに、まるで初めて聴いたような感覚。
あれが「初心」なのかどうかはわからない。でも、ジョブズが作りたかったのは、そういう体験を可能にする「器」だったのかもしれない。余計な装飾を取り払い、操作の複雑さを消し、ただ音楽と聴き手の間にある距離を限りなくゼロに近づける。そういう器。
iPodのクリックホイールを回しているとき、私は確かに「操作している」という意識が薄れる瞬間があった。アルバムを選び、曲を選び、再生する。その一連の動作が、レコード棚からジャケットを引き抜いて、盤を取り出して、ターンテーブルに載せる動作と、どこか似た「流れ」を持っていた。身体が覚える動き。意識しなくなる動き。……まあ、これは美化しすぎかもしれない。実際にはCDからのリッピング作業が面倒で、何度も投げ出しそうになった。
ジョブズは「テクノロジーとリベラルアーツの交差点」という言葉をよく使った。技術と人文学の交差点。Appleはその交差点に立つ企業だ、と。
この言葉を初めて聞いたとき、正直、経営者のきれいごとだと思った。でも、年を重ねるにつれて、少しずつ意味がわかってきた気がする。技術だけでは音楽は生まれない。楽器の構造を完璧に理解している人間が、必ずしもいい演奏をするわけではない。逆に、感情だけでも音楽にはならない。叫びたい衝動があっても、それを形にする技術がなければ、ただの叫びで終わる。
ジョブズが作った製品は、その「交差点」に立っていたのだと思う。iTunesが音楽の流通を変え、iPodが音楽の持ち歩き方を変え、iPhoneがすべてを変えた。その過程で失われたものもある。CDのライナーノーツを読む時間。レコードジャケットの大きさ。針を落とす前の数秒の沈黙。私はそれらを今でも愛している。
でも、ジョブズが本当にやろうとしていたのは、音楽を便利にすることではなかったのだろうと、最近は思う。人間が音楽に触れる瞬間の質を、設計しようとしていた。フォントの間隔を0.5ポイント単位で調整したのと同じように。見えないけれど、確かに感じる何かを。
消えゆくものと、残るもの
ジョブズは2005年のスピーチで、こんなことを言っている。
「もし今日が人生最後の日だとしたら、今日やろうとしていることを本当にやりたいか」
毎朝、鏡に向かってそう問いかけていた、と。
50歳になった私に、この言葉は以前より少しだけ重く響く。人生の残り時間が有限であることを、頭ではなく身体で感じ始める年齢だ。膝が痛い。老眼が進む。深夜にレコードを聴いていると、寝落ちする頻度が増えた。
それでも、針を落とす。今夜も落とす。
ジョブズが「死は生命最大の創造物だ」と言ったとき、彼はたぶん、消えゆくことの中に何かを見ていたんだと思う。限りがあるから、選ぶ。選ぶから、深くなる。深くなるから、残る。
私がこうして誰に頼まれたわけでもなく文章を書いているのも、似たような衝動かもしれない。聴いた音楽について何も残さずに消えていくのが、少しだけ怖い。レコードの溝に刻まれた音は、盤が割れない限り残る。でも、それを聴いたときの身体の震えは、私の中にしかない。
ジョブズは71歳にはなれなかった。56歳で止まった。彼が最後に何を聴いていたのか、私は知らない。たぶん誰も知らない。
6畳の部屋で、ヘッドフォンを外す。時計を見ると午前2時を過ぎている。明日も経理の仕事がある。請求書の数字は、フォントが何であろうと変わらない。でも、今夜レコードから流れてきた音の手触りは、明日の朝にはもう少し薄れている。そしてまた夜が来れば、針を落とす。
……消えゆくものの中に手を伸ばし続けること。それがたぶん、ジョブズと私の、唯一の共通点だ。