スキャットマン・ジョンの84回目の誕生日:吃音と歩んだジャズ・スキャット、ユーロダンスが繋いだ世界
2026年3月13日。スキャットマン・ジョンが生まれた日。
1942年の今日、カリフォルニア州ダウニーで、ジョン・ポール・ラーキンという男が生まれた。後に世界中の人間が「スキャットマン・ジョン」と呼ぶことになる、あの人だ。生きていれば84歳。1999年に肺がんで亡くなっているから、もう27年が経つ。
スキャットマン・ジョンを知らない世代も増えてきたかもしれない。簡単に言えば、幼少期からの重度の吃音を抱えながら、その「どもり」をジャズのスキャット唱法と融合させ、90年代のユーロダンスに乗せて世界的ヒットを飛ばした人だ。デビュー時、52歳。メジャーシーンでの活動はわずか5年ほど。短い。あまりに短い。
けど、その5年が残した余韻は、27年経った今も消えていない。
私がスキャットマン・ジョンを初めて聴いたのは、たぶん1995年の春か夏だったと思う。30代に差しかかる頃で、仕事にも慣れてきて、音楽を聴く時間が減り始めていた時期だ。テレビから流れてきた「Scatman (Ski-Ba-Bop-Ba-Dop-Bop)」を聴いて、最初は正直、何が起きているのかわからなかった。ジャズのスキャットと打ち込みのビートが同居している。しかも歌っているのは、髭を生やした中年のおじさんだ。……何だこれは、と思った。でも、身体が先に反応していた。気づいたら腰が動いていた。テレビの前で、ぼんやり立ったまま。
あの奇妙な第一印象が、今もずっと残っている。
52歳のデビュー、40年の下積み
スキャットマン・ジョンの話をするとき、どうしても避けられないのが「吃音」のことだ。彼は幼少期から深刻などもりを抱えていた。人前で話すことが困難で、子供の頃はからかわれ、自己肯定感を削られ続けた。その苦しみは、後のインタビューで本人が繰り返し語っている。
逃げ場になったのが音楽だった。ピアノを弾き、ジャズの世界に入った。ロサンゼルスのクラブシーンで、何十年もピアニストとして活動していたらしい。でも、大きな成功とは無縁だった。アルコール依存症にも苦しんだ時期がある。華やかな話ではない。40年以上、ほぼ無名のジャズミュージシャンとして過ごした。
転機が来たのは50代に入ってからだ。ドイツのプロデューサー、トニー・カタンザロと出会い、自分の声——スキャットの声——をユーロダンスのビートに乗せるというアイデアが生まれた。
ユーロダンスというのは、90年代にヨーロッパで爆発的に流行した電子音楽のジャンルで、BPM140〜160の速いテンポ、シンセサイザーの分厚い音壁、4つ打ちのキックが特徴だ。2 Unlimited、Haddaway、Snap!あたりを想像してもらえればいい。踊るための音楽。若者の音楽。
そこに、52歳の吃音持ちのおじさんが、ジャズのスキャットを持ち込んだ。
冷静に考えると、とんでもないことだと思う。ジャンルも世代も文化圏も、何もかもが噛み合わないはずだった。1940年代のアフリカ系アメリカ人音楽の伝統と、1990年代のヨーロッパの電子音楽が、50代の白人アメリカ人の喉を通って融合する。こんなことは、誰にも計画できない。偶然と必然のあいだで起きた事故のようなものだ。
でも、その事故が美しかった。
スキャットというのは、意味のある言葉を使わない歌唱法だ。「ダバダバ」「ビバップ」「ズビズバ」……ルイ・アームストロングやエラ・フィッツジェラルドが洗練させてきた、声を楽器として使う技術。ラーキンは吃音のせいで言葉がスムーズに出ない。でも、スキャットをしているときは吃音が出なかったという。歌唱時には脳の言語処理が通常の発話とは違う経路で動くらしく、吃音者が歌うと流暢になることは臨床的にも知られている。
ただ、ラーキンの場合、それは単に「歌えば吃音が消える」という話ではなかったと思う。スキャットは、そもそも言葉の意味を必要としない。意味の外側で声を出す行為だ。言葉に苦しめられてきた人間が、言葉を手放すことで解放される。……そこには、何か深いものがある気がする。うまく言えないけれど。
I’m the Scatman. Why should I be afraid to talk about it?
——俺はスキャットマンだ。それについて語ることを、なぜ恐れる必要がある?
この一節を初めてちゃんと聴き取ったとき、背筋がすっと冷たくなった。鳥肌、というやつだ。踊れるビートの上で、この人は自分の傷を晒している。しかも、怒りでも悲壮感でもなく、ある種の軽やかさで。重いものを持ち上げるとき、力を入れすぎると持てない。ふっと力を抜いた瞬間に持ち上がる。あの感じに似ている。
「Scatman’s World」という曲もある。こちらはもう少し静かなトーンで、理想の世界を歌っている。
Everybody’s born to compete as he chooses,
but how can someone win if winning means that someone loses?
誰もが競い合うように生まれてくる。でも、誰かが勝つことが誰かの敗北を意味するなら、それは本当に「勝ち」なのか。……90年代のダンスミュージックの中に、こういう問いが埋め込まれていたことを、当時の私はちゃんと聴き取れていなかった。踊れる曲、面白い曲、変わったおじさんの曲。そういう表面だけを受け取っていた。恥ずかしいけれど、正直にそう書く。
日本での人気は特に大きかった。95年のヒットは社会現象に近かったし、CMやバラエティ番組でも繰り返し使われた。でも、日本での受容のされ方には、少し複雑なものがあったと思う。面白がられていた部分が大きい。キャッチーなフレーズ、独特のルックス、真似しやすいスキャット。……それ自体は悪いことではない。入り口は何だっていい。ただ、彼の背景にある40年の苦闘まで届いていた人が、当時どれだけいたか。
2000年代以降、彼の楽曲はインターネットミームとして再燃した。MAD動画、YouTubeの素材、TikTokの音源。Z世代が「面白い昔の曲」として消費し、そこからふと彼の人生を知って、打たれる。ミームとしての入り口から、もっと深い場所にたどり着く人がいる。それは、ラーキン本人が望んだ形かどうかはわからない。でも、音楽がまだ生きている証拠ではある。
52歳でデビューして、57歳で死んだ。5年間。アルバムは3枚。曲数にすればそう多くはない。でも、この人の音楽を聴いていると、量の問題ではないということを思い知らされる。40年以上かけて溜め込んだものが、最後の5年で一気に放出されたような密度がある。ひとつひとつの音節に、重みがある。
深夜に針を落とす
今夜、レコード棚を探ったけれど、スキャットマン・ジョンのアナログ盤は持っていなかった。CDならある。「Scatman’s World」のアルバム。ケースが少し割れている。いつ買ったのかも覚えていない。たぶん90年代後半、中古で見つけて何となく手に取ったのだと思う。
CDプレーヤーに入れて、ヘッドフォンをして、再生ボタンを押す。
……やっぱり、腰が動く。50歳の深夜に、6畳の部屋で、ひとりで腰が動いている。馬鹿みたいだけど、これが音楽の力というものだろう。理屈ではない。身体が先に応答する。
スキャットマン・ジョンは、自分の弱さを武器に変えた人だ、とよく言われる。それは間違いではない。けど、私はもう少し違う見方をしている。彼は弱さを「武器に変えた」のではなく、弱さのまま差し出したのだと思う。変換したのではなく、そのまま出した。吃音を隠さず、ごまかさず、スキャットという形でそのまま世界に投げた。それが結果的に、誰も聴いたことのない音楽になった。
50歳になって、少しだけわかることがある。弱さを強さに変えるのは、実はそんなに難しくない。本当に難しいのは、弱さを弱さのまま認めることだ。変換せずに、そこに置いておくこと。それができる人は、そう多くない。
ラーキンは、それができた人だったのだろう。
CDが終わる。ヘッドフォンを外すと、マンションの静寂が戻ってくる。冷蔵庫の低い唸り。時計の秒針。家族の寝息は、ここまでは聞こえない。
84回目の誕生日、おめでとう。……届かないけど。
まあ、届かなくていい。音楽は残っている。それで十分だと思う……。