今井翼の「激太り」と言われた身体のこと——メニエール病、薬、そして消えない熱

今井翼の近影を見て、息が詰まった。
正確に言えば、画像そのものにではなく、それに貼り付けられた「激太り」という言葉に、だ。

今井翼。1981年生まれ。滝沢秀明と組んだ「タッキー&翼」で一時代を築いた人。甘いマスク、切れのあるダンス、そしてフラメンコへの尋常でない情熱。……私はジャニーズに詳しい人間ではない。けど、今井翼がステージで踊る姿は、何度かテレビ越しに見て、その身体の使い方に目を奪われた記憶がある。重心が低くて、腰から動く。アイドルの踊り方じゃなかった。

その人の体型が変わった、という話がネットに溢れている。
「激太り」「劣化」「自己管理」。
こういう言葉が、何の留保もなく並んでいる。

でも、少し調べれば分かる。
今井翼はメニエール病を患っている。長期の休業を経験し、治療を続けながら、それでも舞台に戻ってきた人だ。体型の変化には、病気そのもの、そして治療に使われる薬の副作用が深く関わっている可能性が高い。それを「激太り」の一言で片づけるのは、あまりにも雑だと思う。

今日は、そのことについて書く。

メニエール病という病——平衡感覚を奪われるということ

メニエール病。内耳の中にある内リンパ液が過剰に溜まることで起きる。症状は、激しい回転性のめまい、耳鳴り、難聴、吐き気。発作は突然やってくる。いつ来るか分からない。

私は医者ではないから、正確な医学的解説はできない。ただ、想像してみる。
ステージの上で、照明を浴びて、何千人もの視線を受けて、踊っている。その最中に、世界がぐるぐる回り始める。足元が崩れる。どこが上で、どこが下か、分からなくなる。……想像しただけで、手のひらが冷たくなる。

今井翼は、その恐怖を抱えながらステージに立っていた時期がある。「いつ倒れるか分からない」という不安を、インタビューで語っていたらしい。

ダンサーにとって、平衡感覚は生命線だ。空間の中で自分がどこにいるか、身体の軸がどこにあるか。それが分からなくなるということは、表現の土台ごと崩れるということだ。アイドルの「体調不良」という言葉で片づけられがちだけど、これはもっと根源的な話だと思う。自分の身体を信じられなくなる、という経験。

私は50年生きてきて、大きな病気はしていない。でも、40代の半ばに突然、左耳の聞こえが悪くなったことがある。一週間ほどで治ったけど、あの間、音楽を聴くのが怖かった。左右のバランスが崩れて、ヘッドフォンで聴くと気持ちが悪くなる。ステレオの定位がおかしくなる。たった一週間でそれだった。それが慢性的に続くというのは、想像を超える。

「激太り」の裏側にあるもの——薬、ストレス、そして身体の変容

今井翼の体型変化について、ネット上では面白おかしく語られている。でも、メニエール病の治療内容を知れば、体重増加は「起こりうる当然の帰結」だと分かる。

メニエール病の治療に使われる薬には、いくつかの系統がある。

  • ステロイド製剤——炎症を抑えるために使われることがある。副作用として、脂肪の再分配(顔や腹部に脂肪がつきやすくなる、いわゆるムーンフェイス)、食欲の亢進、水分の貯留が起きる。これは広く知られた医学的事実だ
  • 抗不安薬・抗うつ薬——めまいへの恐怖や慢性的なストレスに対して処方されることがある。一部の薬剤は代謝を低下させ、体重増加を引き起こす
  • イソソルビド等の利尿薬——内リンパ水腫を軽減するために使われるが、長期使用による体内バランスへの影響もある

つまり、薬を飲むことで身体が変わる。本人の意志や努力とは関係なく、治療の代償として、体型が変化する。ステロイドの副作用による体重増加は、医療に少しでも関わったことがある人なら知っている話だ。それを「自己管理の失敗」と呼ぶのは、あまりにも無知だし、残酷だと思う。

さらに、ストレスの問題がある。
慢性的なストレスは、コルチゾールというホルモンの分泌を促す。コルチゾールは「ストレスホルモン」とも呼ばれ、長期的に分泌され続けると、特に腹部への脂肪蓄積を招く。今井翼が抱えていたストレスは、想像するだけで息が苦しくなる。病気への不安、活動制限、タッキー&翼の実質的な活動停止、そして事務所の激動。……一つだけでも十分なのに、それが全部、重なっている。

そして、もう一つ。
毎日のように激しいダンスをこなしていた身体が、突然動けなくなる。それまでの運動量を前提に作られていた代謝のシステムが、急激に変わる。同じ量を食べていても、身体は脂肪を溜め込む方向に傾く。これはアスリートが引退後に体型が変わるのと同じメカニズムだけど、今井の場合は「引退」ではなく「病気による強制停止」だ。自分で選んだわけではない。

……こういうことを、誰も説明しない。「激太り」という見出しの方が、クリックされるから。

私はこういう時、深夜にレコードを聴きながら、静かに腹が立つ。音楽と直接関係ない話だけど、身体を使って表現する人間の身体が、外野によって勝手にジャッジされる構図は、どこか共通している。ジャズミュージシャンが太ったとか、ロックスターが老けたとか、そういう話にいちいち値踏みの目が向けられる。表現の中身じゃなくて、容れ物の方ばかり見る。

滝沢秀明との関係も、外からはいろいろ言われてきた。滝沢がジャニーズアイランドの社長に就任し、その後退社し、今井は今井で病と向き合いながら自分の道を模索している。二人の関係について、私が何かを語る資格はない。ただ、長い時間を共に過ごした相手との距離感が変わるというのは、それだけで相当な心理的負荷だろうと思う。まして、それが公衆の目の前で起きている。

フラメンコ、そして「痛みを踊る」ということ

今井翼がフラメンコに深く傾倒していることは、わりと知られている。スペインに渡り、本場で学び、舞台でも踊っている。

フラメンコには「デュエンデ」という概念がある。スペインの詩人ロルカが語った言葉で、「死の近くにある力」とも言われる。技術の巧拙ではなく、魂の底から湧き上がる何か。痛みや悲しみや怒りを、身体を通して燃焼させる表現。

デュエンデは、血の中にいる。テクニックの中にはいない。

ロルカのこの言葉を読んだ時、今井翼のことが頭をよぎった。
メニエール病で平衡感覚を奪われ、薬の副作用で身体が変わり、ストレスで心が削られた人間が、それでもフラメンコを踊る。……それは、「痛みを抱えた身体でしかできない表現」に向かっているということではないか。

フラメンコの足音は、地面を踏みしめる音だ。サパテアード。重力に逆らうのではなく、重力の中に沈み込むようにして踊る。バレエが飛翔の芸術だとすれば、フラメンコは大地に根を下ろす芸術だ。めまいで世界が揺れる人間が、それでも大地を踏む。……その足音を想像すると、胸の奥がざわつく。

体型が変わったことを、嘆く必要はない。少なくとも、外の人間が嘆く筋合いはない。身体は変わる。歳を取れば変わるし、病気になればもっと変わる。私だって、30代の頃の身体とは別物だ。鏡を見て、知らない人がいると思うことがある。でも、身体が変わっても、その中にある熱量は消えない。消えないどころか、変容を経たからこそ、燃え方が変わることもある。

今井翼が今、どんな状態にあるのか、正確には分からない。メニエール病は完治が難しい病気だと言われている。付き合い続けるしかない。でも、舞台に戻ってきているという事実がある。フラメンコを踊り続けているという事実がある。

深夜、部屋でパコ・デ・ルシアのレコードを聴くことがある。ギターの弦が震える音。あの乾いた、切実な音。今井翼がスペインで聴いたであろう音と、私が6畳の部屋で聴いている音は、たぶん同じものだ。同じ振動が、空気を伝わって、鼓膜を揺らす。……ただし、今井の鼓膜は、私のそれとは違う困難を抱えている。それでも聴いている。それでも踊っている。

「激太り」という言葉は、いずれ消える。トレンドは消える。検索ワードは入れ替わる。
でも、身体に刻まれたものは残る。痛みも、薬の記憶も、ステージを踏んだ足の裏の感覚も。

私は今井翼のファンではない。熱心に追いかけてきた人間でもない。
ただ、身体を使って何かを表現しようとする人間が、その身体を病に侵されながらも、まだ踊ろうとしていることに、静かに、深く、敬意を持っている。

フェードアウトしない人がいる。
消えかけても、また踏み込む人がいる。
その足音が、どこかで鳴っている……。