米津玄師、35歳。「声を持たなかった少年」がJ-POPの未来を創るまで
2026年3月10日、米津玄師が35歳になる
今日は米津玄師の誕生日だ。1991年3月10日生まれ。35歳。
35歳か、と思う。私が35のとき、何をしていたか。たぶん経理部で伝票をめくりながら、昼休みにイヤホンで何かを聴いていた。何を聴いていたかはもう覚えていない。でも、35歳という年齢がどういう重さを持っていたかは、なんとなく身体が覚えている。若くはない。でもまだ何かを始められるかもしれないという幻想が、ぎりぎり残っている年齢。
米津玄師。徳島県出身。ニコニコ動画で「ハチ」というボカロPとして活動を始め、2012年に本名で表に出てきた。2018年の「Lemon」で、もう説明不要な存在になった。インターネットの片隅から出発して、気がつけばJ-POPの真ん中に立っていた人。そういうキャリアの持ち主だ。
ただ、私がここで書きたいのは、彼の経歴をなぞることではない。もっと個人的なことだ。50歳の、音楽業界と何の関係もない会社員が、なぜこの人の音楽にここまで引っかかるのか。その引っかかりについて、少しだけ書いておきたい。
声を持たなかった人間が、声を取り戻すまで
「ハチ」の曲を初めて聴いたのは、たしか2011年か2012年だったと思う。息子がまだ中学生で、リビングのパソコンで何かの動画を見ていた。横を通りかかったときに、スピーカーから漏れてきた音があった。初音ミクの声。合成音声。普通なら素通りする。
でも、「マトリョシカ」のイントロが鳴った瞬間、足が止まった。
なんだこれは、と思った。ポップなのに不穏。中毒性がある。何より、音の隙間に妙な切迫感がある。楽しそうに聴こえるのに、どこかで誰かが叫んでいるような。息子に「これ誰?」と聞いたら、「ハチっていう人」と素っ気なく返された。それだけだった。でも、その夜、自分の部屋で検索して聴き直した。ヘッドフォンで。
ボーカロイドという文化は、私の世代にはなかなか入りづらい。機械の声で歌う。作り手の顔は見えない。名前もハンドルネーム。すべてが匿名で、すべてが記号化されている。正直に言えば、最初は距離があった。
けど、聴いているうちに気づいたことがある。この匿名性は、逃げではない。声を出せない人間が、それでも何かを叫ぶために選んだ方法なのだ、と。
米津玄師は自閉症スペクトラム障害を公表している。対人コミュニケーションに困難を抱えていた、と本人がインタビューで語っている。徳島という地方都市で、人とうまく繋がれない少年が、自分の声ではなく合成音声を通じて世界に向けて何かを発信した。その構造自体に、私は胸を突かれるものがあった。
自分の声で歌えない。でも伝えたいことがある。だから、別の声を借りる。
……これは、ある意味で、私がこのブログを書いていることと似ているのかもしれない。「Fade」という、存在しない人間の名前を借りて、深夜に文章を書いている。誰にも本名を明かさず。顔も見せず。でも、マイクはオンになっている。
2012年、彼は「米津玄師」として自分の声で歌い始めた。「diorama」というアルバム。これを初めて聴いたとき、ハチ時代の曲とは明らかに何かが違った。声が震えている。完璧ではない。でも、その不完全さに、生身の人間がいた。機械の声の向こう側に隠れていた人間が、ようやく前に出てきた。その勇気のようなものに、私は背筋が伸びる感覚を覚えた。
J-POPの構造が変わったのは、いつからだろう。
私は40年近く音楽を聴いてきた人間だけど、明確な線引きはできない。ただ、ひとつ言えるのは、米津玄師の登場が「どこから来た人間がポップスの中心に立てるか」というルールを書き換えた、ということだ。
かつてJ-POPの王道は、オーディションか、バンドか、あるいは芸能事務所のスカウトだった。テレビの歌番組があり、レコード会社のA&Rがいて、プロデューサーが方向性を決めた。システムの中で才能が発掘され、磨かれ、世に出る。そういう流れがあった。
米津玄師は、そのシステムの外から来た。インターネットの、しかもボカロという、当時はまだサブカルチャーの一角とされていた場所から。自分で曲を作り、自分で絵を描き、自分で動画を上げた。誰の許可も取っていない。誰にプロデュースされたわけでもない。
そして2018年、「Lemon」が出た。
この曲の話をするたびに、私は自分の身体の反応を思い出す。初めて聴いたとき、サビに入る直前で息を止めていた。意識してそうしたわけではない。身体が勝手にそうなった。メロディが上がっていくところで、胸の奥が詰まるような感覚。泣いたわけではない。でも、泣く手前の、あの独特の圧迫感があった。
夢ならばどれほどよかったでしょう
この一行。たった一行で、喪失の重さを伝えてしまう。技術的にどうとか、構成がどうとか、そういう話ではない。ただ、この言葉が、この声で、このメロディに乗ったとき、何かが起きる。ストリーミング再生数が15億回を超えたらしい。数字としては途方もないけど、でもその一回一回に、たぶん私と同じように息を止めた人間がいたのだと思う。
「Lemon」は祖父の死がきっかけで書かれたと言われている。愛する人を失った記憶。それが消えていくことへの恐怖。でも、消えないでほしいと願いながら、同時にどこかで「消えていくことを受け入れなければならない」と知っている。その矛盾を、彼は音楽にした。
……私が「Fade」という名前を選んだのも、似たような感覚だったのかもしれない。フェードアウト。消えゆくもの。でも、余韻だけは残る。
それから彼は「Flamingo」で軽やかに踊り、「馬と鹿」で泥臭く走り、「KICK BACK」では攻撃的なビートの上で欲望を歌った。作品ごとに顔が違う。けれど、通底しているものがある。不完全な人間が、それでも何かを掴もうとする手つき。その手つきが、毎回違う形で見える。
「KICK BACK」を深夜に大きめの音量で聴いたとき、思わず腰が動いた。50歳の身体が、こんなに反応するのかと自分で驚いた。あの曲には、知性と野蛮さが同居している。チェンソーマンという作品のテーマに引っ張られているのだろうけど、でもそれだけでは説明がつかない衝動がある。
海外での評価も、ここ数年で明らかに変わった。Spotifyのグローバルチャートに日本語の曲が継続的に入ること自体が、少し前までは考えにくかった。米津の音楽は、日本語が分からなくても何かが伝わる構造を持っている。メロディの力なのか、声の質感なのか、あるいはもっと根源的な何かなのか。たぶん、全部だ。
彼はMVのコンセプトも自分でデザインし、ジャケットの絵も自分で描く。音楽と映像と絵画が一体になった世界を、一人の人間が構築している。これは稀なことだと思う。ワーグナーの総合芸術作品、なんていう大げさな言葉を持ち出すまでもなく、ただ純粋に「この人の頭の中はどうなっているんだ」という畏怖がある。
35歳の誕生日に、50歳が思うこと
3月10日。深夜。レコード棚の前に座っている。
米津玄師のレコードは、実は持っていない。彼の音楽はストリーミングで聴いている。アナログ盤が出ていないわけではないけど、なんとなく、この人の音楽はデジタルで聴くのが正しいような気がしている。インターネットから生まれた音楽だから。画面の向こう側から届いた声だから。
でも今夜は、ヘッドフォンを外して、部屋のスピーカーから小さな音で「Lemon」を流している。深夜の6畳間に、あの声が静かに広がる。
35歳。まだ若い。でも、もう若くはない。これからの米津玄師がどんな音楽を作るのか、私には分からない。ただ、ボカロの匿名性の中に身を隠していた少年が、自分の声を取り戻し、自分の名前で立ち、何百万人もの前で歌うようになった。その軌跡だけで、十分すぎるほど十分だと思う。
私は何も残さずに死ぬのが怖くて、こうして深夜に文章を書いている。米津玄師は、たぶん、もっと切実な理由で音楽を作っている。でも、根っこのところで何かが重なっているような気がする。消えたくない。でも、消えていく。だから、今のうちに形にしておく。
誕生日おめでとう、とは書かない。そういう柄ではない。
ただ、35歳の彼が作るこれからの音楽を、50歳の私はまだ聴くつもりでいる。ヘッドフォンを付けて。深夜の6畳間で。誰にも言わずに……