サッカーのアジア・チャンピオンズリーグの決勝戦がテヘランで行われ、Jリーグの鹿島アントラーズが見事優勝を果たしので記事をまとめてみました。
鹿島アントラーズはクラブ20冠のタイトルにして、初のアジア制覇
サッカーで有名な大会といえば、4年に一度開かれるW杯。そして欧州で毎年開かれるクラブNo. 1を決める大会、UEFAチャンピオンズリーグがあります。
選手たちを自分たちで補強できるクラブチームの方が代表よりもレベルが高いと言われておりますが、アジアでも同じようにアジアのクラブNo. 1を決める大会が行われており、それがアジアチャンピオンズリーグ「ACL」です。
鹿島アントラーズはJリーグの中では最多8回の優勝を誇る強豪クラブですが、国際タイトルにはあまり恵まれず、他のJリーグのチームが優勝を果たしても鹿島はACLの優勝は果たせずにおりました。
しかし、今シーズンはついに!悲願の優勝を果たし、クラブのタイトルとしても記念すべき20冠目を国際タイトルとして獲得することが出来たのです!
Jリーグ勢としては昨年優勝した浦和レッズに続き2年連続の優勝となり、2007年浦和レッズ、2008年にガンバ大阪が続けて優勝を果たした時以来のJリーグ勢の連覇達成となりました。
決勝戦はホーム&アウェーの2試合の合計得点で争われますが、ホームを2-0で完勝していた鹿島は、テヘランで行われたアウェー戦を0-0で引き分けて優勝決定となりました。アウェー戦ですから、ガンガン押し込まれることも予想された中で、どうして0点で抑えることが出来たのでしょうか?
W杯でも大活躍したDF昌子の存在感
今年の6月〜7月に行われたW杯はフランス代表の優勝で幕を閉じましたが、日本代表も前評判を覆す決勝トーナメント進出を果たし、まさかの大逆転負けを喫したベスト16での戦いぶりはまだ記憶に新しい方も多いと思います。
W杯の躍進の原動力となり、大会後に欧州クラブからもオファーが届いていた鹿島の選手が昌子選手です。
センターバックというDFの要のポジションにしては身長182㎝はあまり高いとはいえず、軒並み日本人より身長が高い選手ばかりが揃う外国との戦いとなるW杯においては本来不利な状況になる事も多々あります。
隣で一緒にセンターバックを務めていた吉田麻也選手が189㎝で、外国人選手にも負けずにガンガンヘディングを当てていた光景を見るとより明らかです。
ですが、実際には低い身長をカバーする方法として、相手の動きを先読みする読みの速さや体を寄せるウマさによって、実は空中戦でもほとんど不利な状況を作らせずに日本の守備を守りきった昌子選手には逆に非常に高い評価が下され、大会後には実際に海外のチームからオファーが届いたと言われていました。
実は昌子選手が最初に世界から注目されたのは、W杯が行われる2年前の2016年クラブW杯での出来事でした。
Jリーグ勢初の決勝進出を果たした2016年大会
W杯は代表の大会、チャンピオンズリーグはクラブの大会ですが、クラブW杯は世界中のクラブの中でNo. 1のクラブを決める大会であります。
何だがW杯とチャンピオンズリーグの良いとこどりをしたような、スケール感の大きいコンセプトですが、実際にはサッカー最高峰は欧州なので、欧州No. 1を決めるチャンピオンズリーグが最もハイレベルな大会と言われております。ゆえに、結局優勝できるのは欧州チーム、もしくはせいぜい南米のチームだけでした。
正直いってあまりレベルが高い大会とは言えません。しかし、アジア勢などからしたら、欧州王者と試合ができるようなまたとないチャンス!そこで活躍できれば世界へアピールできるきっかけにもなる場であります。しかも開催はほぼ毎年日本で開かれているため、日本のサッカーファンからすると、憧れのスーパースターが所属する欧州王者の試合を間近で観れる大会とあって、地味な人気のある大会でもあります。
本来は大陸ごとに行われる大会に優勝できたクラブNo. 1のチームだけが出場できる仕組みでしたが、毎年日本で開催されるようになった影響からか、開催国王者枠として、その年のJリーグ王者も大会に参戦できるようになっておりました。
ほとんど自分たちより格上のチームばかりの大会ですから、あまり大きな結果を残せないと思われていた鹿島アントラーズは予想を裏切る活躍をみせ、欧州王者のレアル・マドリードとの決勝戦へと駒を進めることが出来ました!
これだけでもすごいことですが、結果は負けてしまったとは言え、一時期勝ち越すことが出来た鹿島アントラーズは世界から注目を集めることとなり、その時の中心選手の一人が昌子選手でした。
その頃から世界からの評価は高く、結果的に今年のW杯でも結果を残したことで海外チームからオファーを受け取れるだけの存在になったのです。
一度は残留を決意するも、仲間に後押しされ今度こそ海外への挑戦へ!
W杯後に届いたオファーによって、日本代表と鹿島アントラーズで一緒に過ごしていた植田選手はすぐみベルギーのチームへ移籍を果たしのに、昌子選手は移籍をせずにチームへの残留を決めていました。それはなぜでしょうか?
実は今回優勝できたACLの存在が大きかったと話しています。Jリーグは春から秋まで開催されるため、秋から春まで開催される欧州チームとは時期が異なってしまいます。
そのため、ACLも秋に決勝戦を迎えるスケジュールの中、順当にチームが勝ち上がっている鹿島でまずは結果を残したかったと昌子選手は言います。
そして今回、見事に優勝を果たし、クラブへの最高の置土産を残した状態で、堂々と海外挑戦をすることになったのです。
移籍してもシーズンの途中のからの参戦となるため、チームに溶け込むはーどるも上がりやすいというのに、有言実行で結果を残してからチームを去った姿はとてもカッコいいですね!
フランスのトゥールーズへの移籍がうまくいき、益々の活躍ができることを願うばかりです!
あなたに届けるピンフルエンサー!
今回もお読みいただきありがとうございました。