小池徹平と永夏子――静かに続いている結婚のかたち

小池徹平が結婚を発表したのは、2018年の9月だった。相手は女優の永夏子(えい なつこ)。4歳年下の、透明感のある人だ。

あの発表を見たとき、私は少し驚いた。けど、それは「意外だ」という驚きではなくて、もっと静かなもの。……ああ、そうか、という感じに近かった。小池徹平がウエンツ瑛士と組んでいたWaTの頃を知っている人間にとって、彼はどこかずっと「少年」のままの印象がある。あの童顔。あの声。テレビの向こう側で笑っていた、2000年代の空気そのもののような存在。それが結婚する、という事実に、時間の重さを感じたのかもしれない。

二人の馴れ初めは、共通の知人を通じての紹介だったと言われている。芸能界ではよくある出会い方だ。でも「よくある」ことが悪いわけじゃない。むしろ、よくあることの中にしか、本当のことは宿らないんじゃないかと、この歳になると思う。派手なエピソードがないこと自体が、二人の関係の質を物語っている気がする。

結婚後、小池徹平と永夏子はメディアへの露出を控えめにしている。2020年頃には第一子が誕生したと報じられたが、子供の性別や詳細はほとんど公表されていない。SNSで家族写真を出すこともない。今の時代、それはひとつの意志だ。見せないことを選んでいる。

私はその距離の取り方に、少し息を止めた。

WaTの少年が、父親になるということ

小池徹平という人を、音楽の文脈で語るのは少し難しい。WaTは確かにヒットした。「僕のキモチ」は当時よく流れていたし、私もどこかの店で聴いた記憶がある。でも正直に言えば、私のレコード棚にWaTのCDはない。ジャンルが違う。世代も違う。

ただ、小池徹平のことは、ずっとぼんやりと視界に入っていた。

彼は俳優として、かなり幅のある仕事をしてきた。「ごくせん」のような王道のドラマもあれば、2.5次元舞台にも出ている。「医龍」シリーズでは研修医の伊集院登を演じていた。あのドラマ、妻が好きで、リビングで流れていたのを横目で見ていたことがある。小池徹平の伊集院は、最初は頼りなくて、でもだんだん覚悟が据わっていく。あの変化の描き方が、作り物じゃない手触りだった。

そして何より、ミュージカル「キンキーブーツ」でのローラ役。

ドラァグクイーンを演じる小池徹平。あの映像を初めて見たとき、背中がざわついた。鳥肌、というのとは少し違う。もっと深いところが反応した感じ。かつて「爽やかな好青年」の記号だった人間が、ハイヒールを履いて、性別の境界を越えて、ステージの真ん中に立っている。しかもそれが嘘くさくない。演技ではあるけれど、演技を超えている何かがあった。

あれを観て思ったのは、この人は「与えられたイメージ」を着替える力を持っている、ということだった。

少年でいることを求められた時期があった。爽やかであることを求められた。でもそこに留まらなかった。留まれなかったのかもしれないし、留まらないことを選んだのかもしれない。どちらでもいい。結果として、小池徹平は変わり続けた。それも静かに。騒がしい宣言なしに。

その人が、父親になった。

インタビューで「家族との時間を大切にしたい」「仕事と家庭のバランスを意識するようになった」と語っているのを読んだことがある。芸能人がよく言う定型句みたいに聞こえるかもしれない。でも私は、この人が言うと少し響き方が違うと感じた。なぜかはうまく説明できない。たぶん、この人には「静かに変わる」ことの説得力があるからだ。

永夏子という人も、同じ匂いがする。「花のち晴れ」や「ゆとりですがなにか」に出ていた女優で、派手な役よりも空気を作る側の人、という印象がある。目立つことを目的にしていない。でも、いなくなると画面が寂しくなる。そういうタイプ。

二人とも、芸能界にいながら、芸能界の速度とは違うリズムで生きようとしているように見える。結婚後も互いの仕事を続けている。永夏子は育児と並行して女優業を続けているし、小池徹平もミュージカルや舞台を中心に活動を続けている。どちらかが犠牲になっている感じがしない。

互いの職業的な自律性を保ちながら、家族という共同体を作っていく。

言葉にすると簡単だけど、実際にやるのは相当難しい。私自身、結婚して20年以上経つけれど、「対等である」ということの困難さは身に染みている。対等でいようとする意志がなければ、関係は必ずどちらかに傾く。小池徹平と永夏子がどうやってそのバランスを取っているのか、外からは分からない。でも、結婚から6年以上経った今も二人が穏やかに見えるということは、何かがうまく回っているのだろう。

まあ、他人の結婚について外野が語れることなんて、本当は何もないのだけど。

ただ、一つだけ。芸能界の結婚報道は、だいたい二種類に分かれる。大々的に幸せを見せるか、スキャンダルとして消費されるか。小池徹平と永夏子の結婚は、そのどちらでもなかった。発表して、少し話題になって、そしてそっと日常に戻っていった。それが私には印象的だった。幸せを証明する必要がない人たち。そういう結婚のかたちがある、ということ自体が、なんだか少しだけ救いに思えた。

消えないもの

深夜にこの文章を書いている。隣の部屋で家族が寝ている。レコードは今日はかけていない。静かだ。

小池徹平のことを書こうと思ったのは、たぶん、「変わり続けているのに、芯が変わらない人」に惹かれるからだ。WaTの少年が、俳優になり、ドラァグクイーンを演じ、父親になった。全部違う。でも、どこかに一本の線が通っている気がする。それが何なのかは分からない。本人にも分からないかもしれない。

永夏子との結婚生活について、世間に語られることは少ない。子供の話もほとんど出てこない。それでいい、と私は思う。語られないことの中に、大事なものが詰まっている。

私の6畳の部屋にも、妻は入ってこない。入ってこないけど、壁の向こうに気配がある。その気配があるから、こうして文章が書ける。たぶん、そういうことだ。

小池徹平は今年で38歳になる。50の私から見れば、まだ若い。でも、もう少年ではない。少年ではないけれど、あの頃の何かを完全には手放していない。それは柔らかさかもしれないし、真っ直ぐさかもしれない。名前のつかないものだ。

消えないものは、ある。静かに変わり続けていても、消えないものは、ある……